仁川空港到着後、異様な雰囲気の中で行われた会見。押し寄せる人の群れを前に、しかし羽生の表情と言葉は冷静だった 撮影/毛受亮介
モノクロの映像で見た法被姿のビートルズか、ローリングストーンズの初来日か。プリンスは昨シーズンのSPだったが、あたかもロックスターを出迎えるような派手な儀式だった。
2018年2月11日。羽生結弦がついに五輪の地に降臨した。当日午前、氷上競技エリアの江陵から仁川国際空港に向かうKTX車内における公用語はジャパニーズ。横を見ても斜めを見ても、普段、リンクでともに取材する記者仲間だった。ざっと200人近い報道陣が修学旅行よろしく、開通したばかりのKTX新線に揺られて仁川を目指す。ただ、羽生結弦の姿を見るためだけに。
コリアンポリスに導かれ、花道から会見スペースへ。形容しがたい雰囲気の中、羽生も思わず笑顔 撮影/毛受亮介
羽生が搭乗しているであろう飛行機の到着予定時間は、15時20分。仁川に着いて表示板を確認すると、16時10分着のディレイとあった。大半の記者、カメラマンは13時には空港に着いており、ある者はベンチでパソコンのキーをたたき、ある者はバーガーキングで昼食を摂り(ワッパーのミールセットが8400ウォン。良心的)、ある者はコンビニで購入したキンパッ(のり巻き)にかぶりつきながら、しかし視線は到着予定ゲート「B」に。混乱を避けてか、やがて到着ゲートが一番端の「A」に変更されると、アメフトのサイドラインさながらに、集団は左から右へスライドした。
飛行機は15時57分にランディング。ほどなく、ブルース・ブラザースを想起させるポリスたちが、王の花道を築いていく。しかし、肝心の王が姿を見せない。「来たか?」「違った」「羽生か?」「違う人だ」を繰り返すこと50数回。16時58分、日本選手団のブレザーに身を包んだ羽生が登場する。「わああーっ」と歓声が上がり、カメラのシャッター音とフラッシュの雨の中を、「どうも」「どうも」というように両サイドにくまなくお辞儀をしながら、世界記録保持者にして腰の低い青年が進んでいく。周囲をガードされた王は、そのまま空港の窓側に導かれ、これまたものすごい数の人間を前に会見に臨んだ。
報道陣とファン、果てはボランティアまでが羽生を取り囲む。会見はまるでビビンパだった 撮影/毛受亮介
よくケガ人が出なかったな…と思わせるカオスの中、羽生だけは冷静だった。
「えー、自分にうそをつかないのであれば、やはり2連覇したいというふうには思ってます。ただ、それだけが目的ではないので、しっかりとその、試合というものを感じながら、また、自分の演技というものを出しながら、えー、この…オリンピックっていうものを…しっかり感じていきたいなと思っています」
会見は質問4つと手短に切り上げられ、羽生は空港の外へ。黒のライトバンに乗り、おそらくは江陵へと向かった。
羽生の登場を待ちわびる人たち。写っていない場所にも多くの人がカメラとレコーダーを手に待ち構えていた 撮影/毛受亮介
私は、到着ゲートの正面で、一歩ずつ前に進んでくる羽生を見ていた。右足への負担を考え、ガリガリに痩せているんじゃないだろうか。減量苦で目がくぼみ、無精ひげを生やして登場するんじゃないかと悪い想像もなくはなかったが、拍子抜けするほど普通で、これまでと変わらない姿がそこにあった。
よかった。本当によかった。世界王者に対してこういう表現は失礼なのだが、1対1の男同士として「よく来た、羽生結弦。心配させやがって…。俺たちは、俺は、ずっとおまえを待っていたんだよ」と言いたかった。外は雪が舞うほどの寒さで私はダウンジャケットを着ていたのだが、今、泊まっている部屋で原稿を書いている姿がそうであるように、パンツ一丁で、サウナにでも入りながらこの3カ月のことを語り合いたかった。
空港には、日本だけでなく海外メディアも多く訪れていた。間違いなく、この五輪の主役は羽生なのだ。2月10日まで、この世界は羽生結弦が不足していた。しかし、今日からは違う。12日には、江陵での初練習が待っている。私にとっての平昌五輪が始まった。
羽生人気は日本に限った話ではない。世界中から集まったファンが王の帰還を祝福した 撮影/毛受亮介
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