【Vol.1はこちらから】田中希実。日本女子中距離界に衝撃を与え続けている小柄な女王。その専属コーチは父・田中健智である。指導者としての実績もなかった男が、従来のシステムにとらわれず「世界に近づくためにはどうしたらいいか」を、娘とともに模索し続けてきた。そんな父娘の共闘の記憶を、田中健智の著書『共闘』から抜粋しお届けする短期連載。
前回の『【連載】田中希実の父親が明かす“共闘”の真実 Vol.8 遠慮のない意見のぶつけ合い。娘はそれを「ケンカ」と呼ぶ』を読む第9回目は、田中希実が、800、1500、3000、5000、クロスカントリーと、常識破りな「多種目出場」を続ける理由について、田中健智がその理由を明かしている。
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よく、五輪や世界選手権に出場する選手は、「メダルを目指したい」「世界と勝負したい」と意気込みを語るが、「メダルを獲るためにどうするのか」「世界で戦うために何が必要なのか」という部分のへの具体的なアプローチがあって、初めて「目標」と言えるのではないかと思っている。
中長距離種目なら、当たり前だがラスト1周、ラスト200メートル、ラストスパートをかける最後の最後まで先頭集団に食らいつき、その勝負所にいなければ、入賞やメダルという目標には届かない。だから、私たちはどの種目においても、ラスト1周まで第一集団に残り、最後までしっかり勝負に絡めるかどうかを一番大事にしている。世界の舞台で戦う以上は、やはり最後まで勝負の場に残り、どのような存在感を示すのかが問われる。例えその結果、順位もタイムも取れなくても、まずは「日本人が最後まで戦っている!」というインパクトを残せるような選手に育てたいと思ってきた。
ドーハの世界選手権(注:5000メートル/2019年10月開催)。希実は予選、決勝ともに自己ベストを更新したが、15人中14位に終わり、まったくラスト勝負に絡めず、振り落とされてしまった。段々とギアが上がっていく世界のスピードにどう対応していくのか。そこで考えたのが、3000メートルであり、1500メートルであり、800メートルへの出場だった。
3000メートルではペースを組み立てる力を養い、5000メートルの最初や後半の上がりのイメージを高める。1500メートルはスピード持久力の向上、そして800メートルは絶対的なスピードを上げること。すべてはメインの5000メートルで強くなるためのアプローチなのだ。
今や、世界の5000メートルのラスト一周は、60秒を切るのが当たり前になっていて、私たちが互角に戦える力をつけるには、日本国内で800メートルの選手と渡り合う必要がある。例えば、800メートルを2分01~02秒でコンスタントに走れるようになり、2分を切れるようなところまでいけたら、そのスピードを1500メートルのラスト2周に置き換えて、2分03秒(一周あたり61・5秒ペース)も視野に入るだろう。その延長で、5000メートルのラスト2周を2分05秒で走ることができれば、限りなく世界に近づけるはずだ。つまり、800メートルで表現できることが高くなればなるほど、世界の選手と渡り合う力がついていくのだ。
本人は「ラストのスピードが足りない」と思っているが、ラスト1周の勝負に絡めるスプリントが無くとも、ラスト2周から大逃げできる力があれば、ゴール間際に僅差で詰められるかどうかの勝負には持ち込めるはずだ。世界の選手の「ひと踏ん張り」に届かない部分を埋めていくには、ラストのスプリントも磨きつつ、やはり800メートルのスピードも高めていかなければいけないと思っている。
こうした取り組みの中で、私たちが一つ上の「指標」として意識してきたのが、ドーハ世界選手権銅メダリストのK・クロスターハルフェン選手だ。"ココ"の愛称で知られる彼女は、800メートルから10000メートルまで複数種目にチャレンジし、数々のドイツ記録を打ち立てている。そして、ドーハの女子5000メートルで14分28秒43をマークし、この種目でドイツ代表初のメダルを手にした。同じようなアプローチで、いかに彼女の背中に近づけるかは、私たちの密かなテーマでもある。
【田中希実の父親が明かす“共闘”の真実Vol.10に続く】
<田中健智・著『共闘セオリーを覆す父と娘のコーチング論』第4章-常識を覆すコーチング-より一部抜粋>
2019年、ドーハで行われた世界選手権5000メートルで、田中希実は当時日本歴代2位の15分0秒01をマークしたものの順位は15人中14位だった(Photo:Getty Images)田中健智
たなか・かつとし●1970年11月19日、兵庫県生まれ。三木東高―川崎重工。現役時代は中・長距離選手として活躍し、96年限りで現役引退。2001年までトクセン工業で妻・千洋(97、03年北海道マラソン優勝)のコーチ兼練習パートナーを務めた後、ランニング関連会社に勤務しイベント運営やICチップを使った記録計測に携わり、その傍ら妻のコーチを継続、06年にATHTRACK株式会社の前身であるAthle-C(アスレック)を立ち上げ独立。陸上関連のイベントの企画・運営、ランニング教室などを行い、現在も「走る楽しさ」を伝えている。19年豊田自動織機TCのコーチ就任で長女・希実や、後藤夢の指導に当たる。希実は1000、1500、3000、5000mなど、数々の日本記録を持つ女子中距離界のエースに成長。21年東京五輪女子1500mで日本人初の決勝進出を果たし8位入賞を成し遂げている。23年4月よりプロ転向した希実[NewBalance]の専属コーチとして、世界選手権、ダイヤモンドリーグといった世界最高峰の舞台で活躍する娘を独自のコーチングで指導に当たっている。
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