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2025-02-10

棚橋弘至がラスト大阪府立を前に振り返った“西の聖地”タイトルマッチ17回で4度王座転落の鬼門【週刊プロレス】

2009年6月の棚橋弘至

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今では上半期最大のビッグマッチのポジションに位置する「DOMINION」。第1回は2009年に大阪府立体育会館で開催され、そのメインのリングに立ったのが棚橋弘至だった。対戦相手は中西学。そこで起こった“逆転現象”は棚橋自身、強く印象に残っているという。それは同時に、“西の格闘技の聖地”でファンからエースとして認められた瞬間でもあった。

棚橋弘至が最後の大阪府立体育会館で一騎打ちを行う真壁刀義とは、過去に同会場で2度のシングルマッチをおこなっている。1度目は2008年12月7日。3大シングルマッチとして、後藤洋央紀vsジャイアント・バーナード、中邑真輔vs矢野通と並んでメインで組まれた。結果はハイフライフローで棚橋の勝利。2度目は2011年8月7日。「G1クライマックス」の公式戦としておこなわれ、ここでも棚橋がハイフライフローで勝利している。この結果を聞いた棚橋は、「三度目の正直にならないように」と気を引き締めて、最後の大阪府立のリングに向かう。

棚橋が大阪府立でタイトルマッチをおこなったのは17回。うち10回がIWGPヘビー級王座を懸けてのもの。7度の防衛戦、2度の挑戦、1度の王座決定戦。結果は5勝5敗の五分である。敗戦のうち4度は王座から転落しており、意外にも大阪府立は鬼門となっている。ほかにIWGPタッグが3戦1勝2敗、U-30が2戦2勝、IWGPインターコンチネンタルが1戦1勝、US王座が1戦1敗、NEVER6人タッグが1戦1勝。

大阪府立で闘った約2割3分がタイトルマッチとなるが、中でも強く印象に残っているのが第1回「DOMINION」(2009年6月20日)でおこなわれた中西学戦だと振り返る。

中西とは1カ月半前の5月6日、後楽園ホールでIWGPヘビー級王座を懸けて闘い、予測不能なジャーマン・スープレックスでベルトを明け渡している。当時の中西は圧倒的な強さと存在感を放ちながら、武藤敬司が「なんであいつがこれまでIWGPを取ってないんだ?」と不思議に思うほど。“中西待望論”がようやく現実のものとなり、デビュー17年での至宝初戴冠に、放送席で解説を務めていた山本小鉄が涙を流していたのが印象的だった。

一方の棚橋は3度IWGPヘビー級に就いて、エースとしての地位を築いてきた一方、アントニオ猪木が掲げたストロングスタイルとは対照的なムードもあって、「ちゃらい」と批判されていた時期。そのため王者でありながらブーイングも飛んでいた。次第にその声も小さくなりつつあったが、大阪では拒否反応がまだ根強く、中西に大きな声援が集まっていた。試合は、中西の怪力に防戦を強いられる棚橋という展開。しかし試合が進むにつれ、次第に棚橋への声援が大きくなっていった。

「あれは面白かったなあ。さんざんやられましたけどあの日、棚橋スタイル、ちゃらいだけじゃないっていうのに変わったのかなって。大阪の会場ってホント不思議で、あの日を境にブーイングがだんだん歓声に変わっていった。やっと認めてもらえたんだって感じました」と振り返り、「僕にはとてもキツいブーイングを飛ばしてたんですけど、しっかり認めてくれると、その選手には声援を送る。それだけじゃなく、とことん応援するっていう熱い気質持っているのが大阪のファンの皆さんなんだなっていうのを、あの時に感じましたね。それからずっと応援してもらって、本当に力になりました」と大阪のファン気質を語った。

現在、それに似たポジションに置かれているのが海野翔太。棚橋最後の大阪府立となる2・11に、あの時の棚橋と同じような現象が起こるのか……。最後に棚橋は、「たくさんの思い出もありますし、大阪府立はとても好きな会場です。最後、大阪府立でかっこいい棚橋を見せます」と誓った。(おわり。文中敬称略)

橋爪哲也

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