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2025-06-03

【連載 泣き笑いどすこい劇場】第31回「出稽古」その2

平成5年初場所8日目、平幕の若花田(のち若ノ花、横綱若乃花)に寄り切られる大関曙。二子山勢には何度も痛い目にあわされていた

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3日見ぬ間の桜かな、と言いますが、花の季節の過ぎ去る早さよ。
今年もあっという間に青葉、若葉の季節になってしまいました。
人間もこんなふうに素早く変われるといいのですが、そうなるためにはやはり時間や稽古が必要です。
その稽古法もいろいろ。
大相撲界では場所が近づくと、多くの力士たちが思い思いの部屋に出稽古するのが、恒例になっています。
そもそも出稽古とは、お華や踊り、お茶などの師匠が弟子のもとに出向いて稽古をつけることで、大相撲の出稽古はちょっと意味が違うようですが、それだけにさまざまな思惑が交錯し、ドラマチックでもあります。
そんな出稽古にまつわる泣き笑いエピソードを集めました。
※月刊『相撲』平成22年11月号から連載された「泣き笑いどすこい劇場」を一部編集。毎週火曜日に公開します。

この日を待っていた!

外国人力士初の横綱となった曙も、苦手のところに出稽古し、頭を下げて胸を借りる一種の屈辱を実践している。曙のライバル、壁といえば、貴乃花をリーダーとする若乃花、貴ノ浪、安芸乃島(現高田川親方)らの二子山軍団だ。2メートルを超える長身、200キロを超える大きな体から繰り出す突き押しは無類の破壊力を誇ったが、何と言っても多勢に無勢。二子山勢に足元をすくわれ、苦渋を飲まされることも少なくなかった。

横綱になって2場所目、平成5(1993)年夏場所も、初日から12連勝しながら13日目に関脇若ノ花(のち横綱若乃花)に叩き込まれ、千秋楽、大関貴ノ花(のち横綱貴乃花)との賜盃を懸けた相星決戦にも敗れて優勝を逃している。

どうしたらこの二子山包囲網を打ち破ることができるのか。次の場所に備えて名古屋入りして2日目の夜、師匠の東関親方(元関脇高見山)は思い悩む愛弟子にこうアドバイスした。

「二子山勢にお返しするには、二子山部屋に出稽古するのが一番だよ。ホントにやる気があるんだったら、二子山部屋に行って若貴の胸を借りなさい」

それから2日後の朝、曙は敵の本陣の二子山部屋に乗り込み、貴乃花と17番取って12勝5敗と圧倒している。この曙の二子山詣では2日間で終わった。もし曙に“琴風詣で”を続けた千代の富士の執念があったら、大相撲史は違ったものになっていたに違いない。

とは言え、この出稽古効果はさっそくその場所の千秋楽に表れた。またしても貴ノ花に敗れ、貴ノ花、若ノ花との三つ巴戦にもつれ込んだが、ここから曙は横綱の意地を発揮。まず若ノ花を一気に押し倒し、さらに貴ノ花を寄り倒して、横綱になってからは初めてとなる賜盃をものにしたのだ。難産だったが、見事に前場所の雪辱を晴らした曙は、こう言って喜びを噛み締めている。

「この2カ月間、ずっとこの日がやってくることを思って頑張ってきた。これでやっと苦労が報われた。横綱が2場所も続けて逆転されてはいけないもんね」

しかし、この曙の笑顔も長くは続かなかった。このわずか3日後、誰よりもこの横綱初優勝を喜んだ父親のランドルフさんが入院先のハワイの病院で亡くなったのだ。人生はまさに有為転変、ドラマに満ちている。

月刊『相撲』平成25年5月号掲載

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