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2025-06-10

【連載 泣き笑いどすこい劇場】第31回「出稽古」その3

平成19年の冬巡業で鶴竜に稽古をつける横綱朝青龍。2場所の謹慎明けで、大きな注目を集めていた(12月4日/熊本県天草市)

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3日見ぬ間の桜かな、と言いますが、花の季節の過ぎ去る早さよ。
今年もあっという間に青葉、若葉の季節になってしまいました。
人間もこんなふうに素早く変われるといいのですが、そうなるためにはやはり時間や稽古が必要です。
その稽古法もいろいろ。
大相撲界では場所が近づくと、多くの力士たちが思い思いの部屋に出稽古するのが、恒例になっています。
そもそも出稽古とは、お華や踊り、お茶などの師匠が弟子のもとに出向いて稽古をつけることで、大相撲の出稽古はちょっと意味が違うようですが、それだけにさまざまな思惑が交錯し、ドラマチックでもあります。
そんな出稽古にまつわる泣き笑いエピソードを集めました。
※月刊『相撲』平成22年11月号から連載された「泣き笑いどすこい劇場」を一部編集。毎週火曜日に公開します。

異例の横綱門前払い

横綱、大関の出稽古は相手にありがたがられることが多い。

お手本となるような強い力士が向こうからわざわざ足を運び、稽古をつけてくれるのだから。しかし、中にはそうでない横綱もいる。

前例のない横綱の出稽古拒否事件が起こったのは平成19(2007)年12月10日のことだった。事件の主役は問題児、トラブルメーカーとしておなじみの朝青龍。稽古嫌いとしても有名だったが、このときだけはいつもとちょっと様子が違っていた。夏巡業を休んでモンゴルに無断帰国してサッカーに興じたことがバレて食った2場所連続休場のペナルティが明けたばかりで、一日も早く鈍った相撲勘を取り戻そうと必死だったのだ。

それには出稽古して、できるだけ多くの力士たちと対戦するしかない。この日、出稽古先に選んだのは大関魁皇(現浅香山親方)のいる友綱部屋だった。この日の早朝7時、若者頭の伊予櫻が友綱部屋を訪れて出稽古の許可を求めると、師匠の友綱親方(元関脇魁輝)はこう言って朝青龍の襲来を断った。

「申し訳ないが、うちの力士がケガをさせられては困るので断る。横綱の稽古は、下の者に力を出させて勝ってみせるもの。朝青龍は、相手を痛めつけ、自分が強いんだと分からせようとしている。この冬巡業でも鶴竜(現音羽山親方)がケガをした。4月には三役に上がったばかりの豊ノ島も右ヒザを故障している。師匠との関係も壊れたままだ。こういうことは許されないということを、どこかで誰かが毅然と見せなければいけない」

さらに、こうも付け加えている。

「ウチと高砂部屋とは、考え方も、指導法も違う。これから先も(朝青龍を)受け入れることはない」

しかし、こんなことで落ち込むような朝青龍ではなかった。この日は行き場を失って自分の部屋で過ごしたが、翌朝は春日野部屋にアポなしで訪れ、この異例の門前払いについてこう言い放った。

「だったら、(友綱部屋には)行かないよ。他にも部屋はあるからな。そう(新聞には)書いておけ」

ただ、これで朝青龍の復活シナリオにケチがついたのは確か。平成20年初場所、ゲンを担いで真っ白なロールスロイスで場所入りするなど、いつも以上に気合を入れて臨んだが、千秋楽、横綱4場所目の白鵬に相星決戦で敗れ、再出場即優勝の夢は潰えた。

月刊『相撲』平成25年5月号掲載

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