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2025-07-06

“超獣コンビ”スタン・ハンセン&ブルーザー・ブロディ唯一のタッグ王座挑戦の舞台 プロレス歴史街道~愛知県体育館編(6)【週刊プロレス】

スタン・ハンセン&ブルーザー・ブロディ

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1981年暮れ、スタン・ハンセンの電撃移籍により期待されたのが、ブルーザー・ブロディとのコンビ結成だった。現在でも日本マット史上最強タッグといわれる“超獣コンビ”だが、意外にも獲得したタイトルはアメリカでのNWAトライステートとPWF世界の両タッグ王座のみ。強過ぎて、王者チームが挑戦を避けていたという印象。そんな超獣コンビが初めて全日本のタッグ王座に挑戦し舞台が愛知県体育館だった。(文中敬称略)

スタン・ハンセンが移籍したことで、全日本マットの闘い模様は、ブルーザー・ブロディ&ハンセンvsジャイアント馬場&ジャンボ鶴田&天龍源一郎&ドリー・ファンクJr&テリー・ファンクの図式となった。ブロディはドリー、鶴田とインターナショナルヘビー級王座をめぐっての闘い、ハンセンは馬場とのPWFヘビー級王座を懸けた闘いが中心。

若手時代を除いてアメリカでも結成されてないプレミアムタッグとあって全日本マットでも特別扱いされており、2人がそろって来日するのは年3~4シリーズ。それも一方がシリーズに全戦参加しても、もう一方は特別参戦という形が多く、両選手が開幕戦から最終戦までそろうのは「世界最強タッグ決定リーグ戦」ぐらいのものだったため、積極的に2人でタッグ王座に挑戦することはなかった。

互いにトップレスラーに成長し、タッグを再結成したのは全日本マットでなくフロリダ地区。1982年2月20日、(現地時間)、セントピータースバーグのリングだった。対戦相手はアメリカ遠征中の鶴田、天龍組。

当時の天龍は第3の男として頭角は現していたものの、まだベルトは手にしておらず。全日本陣営は馬場と鶴田のトップ2だった時期。わずか6分13秒、ブロディのダイビング・ブレーンチョップからハンセンのラリアットの連続攻撃でマットに沈んだ。この模様は日本テレビで録画中継され、超獣コンビの際立った強さがアピールされた。

日本マット初登場となったのは、「第10回チャンピオン・カーニバル」に引き続いて開催された「'82グランド・チャンピオン・シリーズ」第2戦となる同年4月17日、大分県立荷揚町体育館のセミファイナルだった。馬場&天龍組を迎え撃った超獣コンビは大暴れ。わずか5分33秒、天龍にラリアットを叩き込んだハンセンがカウント3を奪っている。

その3日後(4月20日)、シリーズ第5戦の愛知県体育館で超獣コンビは再結成3戦目で早くも馬場&鶴田の師弟コンビが保持するインターナショナルタッグ王座に挑戦した。

それまで大木金太郎&キム・ドク組、アブドーラ・ザ・ブッチャー&レイ・キャンディ組に明け渡しながらも7年2カ月間、同王座の中心にいた師弟コンビだが、この時ばかりは王座転落最大の危機と言われた。

3本勝負で争われた一戦は、下馬評通り超獣コンビが序盤からパワーで圧倒。1本目はラリアットからのキングコング・ニードロップの連係でブロディが鶴田をフォール。わずか7分38秒の出来事だった。

2本目はブロディがチェーンを持ち出して反則負け。大荒れのままゴングが鳴らされた3本目は、馬場が超獣コンビをリング下に誘い出して両者リングアウト。辛うじてドローでベルトを守ったという印象で、次に挑戦すれば王座転落は免れないと思わせるほど、実力差は歴然だった。しかしその後、超獣コンビがインタータッグに挑戦することはなかっただけでなく、同年の“最強タッグ”まで2人だけのコンビは組まれなかった。

「最強タッグ」前の11月2日には、愛知県体育館ではブロディvsジミー・スヌーカのシングルマッチがおこなわれている。これは「グランド・チャンピオン・シリーズ」最終戦(同年4月22日、東京体育館)で仲間割れした遺恨マッチとして組まれたもの。試合中にインター王座をめぐっての因縁が深まっていた鶴田、さらにニコリ・ボルコフが乱入してわずか5分5秒でノーコンテストとなったが、これはブロディのパートナーを前年度世界最強タッグ優勝チームであるスヌーカからハンセンに変更するための処置であった。と当時にスヌーカはその直後、WWF(現WWE)を主戦場に移した。

1982年の“最強タッグ”は反則暴走で優勝を逃した超獣コンビ。翌1983年春にザ・ファンクス(ドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク)、師弟コンビ(馬場&鶴田)の3チームによるリマッチがおこなわれて優勝を飾ると、同年暮れの「最強タッグ」でも優勝。さらに年が明けた1984年春には、馬場&ドリー、鶴龍コンビ(鶴田&天龍)、AWA代表のハイ・フライヤーズ(グレッグ・ガニア&ジム・ブランゼル)の4チームで争われたPWF世界タッグ王座決定リーグ戦を制して初代王座に就いた。

3大会連続でタッグリーグ戦を制した超獣コンビ。PWF世界タッグ王座は馬場&ドリー、アブドーラ・ザ・ブッチャー&カルロス・コロン相手に2度の防衛を果たすものの、同年暮れの“最強タッグ”はレフェリー暴行による反則暴走で鶴龍コンビに優勝を明け渡してしまう。そしてこれが超獣コンビ最後の闘いとなった。

全日本マットでの通算戦績は、57戦39勝6敗12分。敗戦はすべて反則負けで、3本勝負でもフォールを奪われたことはない。実働3年足らずだがノーフォールで、文字通り“最強”を証明して全日本マットを駆け抜けた。

橋爪哲也

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