close

2025-08-12

“超人”ハルク・ホーガン伝説…WCW移籍&nWo結成で社会現象を巻き起こし“月曜TV戦争”でWWFを逆転! ビンス・マクマホンとの蜜月と反目【週刊プロレス】

nWo時代のハルク・ホーガン

WWF世界ヘビー級王者となったハルク・ホーガンは音楽界や芸能界とのタイアップでファン層を広げ、スポーツ・エンターテインメントを確立。王者として全米を制圧しながら映画に主演するなど、プロレス界の枠を超えた存在になっていった(文中敬称略)。

1988年にはランディ・サべージにベルトを預けて一時、最前線を離れたものの、1989年に王座復帰。その後も何度か王座を明け渡しているが、一方でステロイド問題が発覚。WWFの方向転換により、フリーランスとしてスポット参戦。新日本マットへの復帰を果たした。
絶賛発売中の週刊プロレス増刊「ハルク・ホーガン緊急追悼号」
そして1994年7月にはWCWに“移籍”。WCWデビュー戦ではリック・フレアーを破ってWCW世界ヘビー級王座を奪取。翌1995年9月の「マンデー・ナイトロ」放送開始でWWFとの“月曜TV戦争”を繰り広げた。

“ストップ・ザ・ホーガン”を成し遂げたのは214cm、170kgのザ・ジャイアント(ポール・ワイト。のちのビッグ・ショー)。WCWのレスラー養成所「パワープラント」出身のジャイアントにとっては公式デビュー戦で王座奪取(1995年10月29日=現地時間、ミシガン州デトロイト、ジョー・ルイス・アリーナ)。アンドレ・ザ・ジャイアントの息子を名乗っており、「レッスルマニア3」の敵討ちといった図式だった。

1996年7月、ケビン・ナッシュ(WWF時代のリングネームはディーゼル)とスコット・ホール(同レイザーラモン)がWWFから電撃移籍してくると、絶対的ベビーフェースだったホーガンが全身黒にイメージチェンジ、リングネームもハリウッド・ホーガンに改めて衝撃のヒール転向。AWA時代のフロントだったエリック・ビショフがブレーンについてnWoを結成。これで社会現象といえるほどに人気が爆発し、WWFとの月曜TV戦争でも視聴率で逆転した。

WCWが買収された後の翌2002年3月にはnWoとしてWWFに復帰。同年3月17日、カナダ・トロントのシルバードームにおける「レッスルマニア18」ではザ・ロックとアイコン対決をおこない、翌2003年3月30日、ワシントン州シアトルのセーフコ・フィールドにおける「レッスルマニア19」ではビンスとリング上で激突。その後もスペシャルゲスト的な立ち位置でWWE(2002年5月に改名)に参戦していたものの、ビンス代表とは繰り返し親子ゲンカをしているような関係で、距離が近づいたり距離を置いたりが続いた。

橋爪哲也

週刊プロレスハルク・ホーガン追悼号をamazonで購入

加入月0円! 週プロmobileプレミアムはバックナンバー2300冊以上から最新号まで読み放題!

週刊プロレス送料無料通販!

PICK UP注目の記事

PICK UP注目の記事



RELATED関連する記事