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2025-09-02

【連載 泣き笑いどすこい劇場】第33回「ハッパ」その2

当時関脇の把瑠都を降し、カド番脱出。師匠の気持ちに土俵で応えた千代大海

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壁にぶち当たったとき、踏ん切りがつかず悶々としているとき、そっと、あるいはまた思い切り背中を押し、尻を叩いてくれるハッパほど、ありがたいものはありません。
力士たちも順風満帆、自分の思うようにことが運ぶときだけではありません。
まさに山あり谷あり。
何をやってもうまくいかず、思い悩んでいるとき、周りから心温まる励ましの声をかけられて奮起し、思いも新たに歩き始めた経験を、誰もが持っているもの。
そんなドラマチックなハッパを紹介します。
※月刊『相撲』平成22年11月号から連載された「泣き笑いどすこい劇場」を一部編集。毎週火曜日に公開します。

師匠の無言の激励

ハッパは、口に出してするものとは限らない。平成21(2009)年春場所、大関千代大海(現九重親方)は2勝13敗と、昭和24年夏場所に15日制が定着して以降、大関のワースト記録となる大敗を喫し、13度目の大関カド番に追い込まれた。

正念場の翌夏場所も、2連勝、2連敗のスタートで一向にピリッとしない。そんな重苦しい雰囲気の中で迎えた5日目の朝、師匠の九重親方(元横綱千代の富士)は、ちゃんこ場に見覚えのある腕時計をこれ見よがしにはめて現れた。平成11年初場所、当時関脇だった千代大海が横綱若乃花を本割、優勝決定戦と立て続けに破って初優勝したとき、副賞としてもらった高級腕時計で、

「こうやって優勝できたのも、師匠のおかげです」

と真っ先にプレゼントしたものだった。そう言えば、千代大海の師匠に対する心服ぶりは大変なもの。平成24年、自分の人生の大切な伴侶である1つ年下の恵理子夫人と入籍した日も、翌年、東京・港区のホテルに650人を招いて結婚披露宴を開いた日も、いずれも師匠の誕生日の6月1日で、

「師匠と一緒にお祝いできれば、と思い、この日にすることにした」

と話している。ここまで師匠思いの弟子はそんなに多くはない。

九重親方は、この千代大海にとっては忘れることのできない思いの詰まった腕時計をチラつかせることで、

「あのときのことを思い出して頑張れ」

と無言のハッパをかけたのだ。大関63場所目を迎え、すでに身も心もボロボロの状態だったが、これを見た千代大海は、

「自分は乗りやすいタイプなので、あれで変われました」

と、猛発奮してこの日から3連勝。後半、5連敗して窮地に陥ったものの、7勝7敗で迎えた千秋楽、最後の力を振り絞って関脇把瑠都を押し倒し、カド番をクリアした。師匠の口には出さないハッパが効いたのだ。千代大海が大関の座を明け渡したのはこの3場所後の九州場所、引退は次の22年初場所のことだった。

月刊『相撲』平成25年7月号掲載

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