2025年3月2日。この日、栃木日光アイスバックスは横浜グリッツを迎え、霧降アイスアリーナでホームゲームを戦った。発表された観客数は、フルハウスの2000人。プレーオフ進出には負けられない立場でありながら、しかしアイスバックスは3-4で星を落とす。先発GKは、当時42歳の福藤豊。試合が始まってから10分に満たない時間で、彼はリンクを去っている。あれから半年、リーグ開幕を待つ霧降で彼の「アンサー」を聞いてみた。取材/山口真一
「落ちるとこまで落ちた」。昨季はそんな感じでした。不安の「種」は、昨季のシーズン前にあった。8月中旬から9月にかけて行われた、日本代表のミラノ五輪最終予選・準備合宿。福藤は左足の痛みを抱えたまま練習に臨み、予選が終了して6日後にリーグの開幕戦へ。試合は1-5でHLアニャンに敗れ(うち2点はPKで、2点はエンプティ)、これが「調子に乗れなかった」1年のスタートになった。 ケガをしたのは、左足の太ももの付け根で「関節唇」という部位の断裂です。去年、オリンピックの最終予選があって、そこで痛めてしまったんです。1年間、ずっと「痛いなあ…」と感じていて、でも、やるしかなかった。昨シーズンが終わって、しっかり患部を診てもらったらそういう状況でした。このオフは左足の不安を取るリハビリに充てて、そこからは今まで順調に進んでいます。
昨シーズンは、やることがうまくいかなかった、乗り切れなかった1年でした(GKセーブ率がリーグ12人のうち12位)。でも、貴重な経験ができたシーズンだと思います。まあ「よく言えば」、なんですけどね。落ちるとこまで落ちたというか、何をやってもうまくいかない。全日本選手権で連覇したり、ジャパンカップで優勝を決める試合に出ていたりと、印象に残る場面もあったんですがね。
いつものようにプレーできなかったのは、いま思えばメンタルだったのかしれません。ケガのせいにしたくはないけど、フィジカルが落ちていって、自分の思うプレーができなくなっていった。ああいう経験はもうしたくないし、「もう一回、這い上がってやろう」という気持ちを今は持っています。
五輪最終予選への準備をしていた、昨年のオフ期間。予選ではケガがあり、バックスに戻ってからも調子がなかなか戻らないまま1年を終えた「チームを優勝させるために」自分の気持ちと戦っていくしかなかった。昨季のレギュラーリーグは、土日の2連戦が基本だった。開幕当初、バックスは「1戦目は福藤、2戦目に大塚一佐」というローテーション。ところが福藤は発熱により10月19・20日のグリッツ戦を欠場し、続く26・27日のレッドイーグルス戦ではサブに回り、11月23・24日からは「1戦目が大塚、2戦目に福藤」の順に。前述のように3月2日のグリッツ戦では、開始9分52秒で3失点を喫し、シーズン最短の9分台での途中交代を余儀なくされている。そしてこの試合が、福藤の2024-2025シーズンの「最終戦」になった。 悔しさがないと言ったらウソになりますよ。ただ大塚が「ベストゴーリー」に選ばれる成績を出していたのは間違いないですし、スタッフも「チームが勝つためにどちらを使うか」と考えた場合に、あの判断は当然だった気がします。
今年21歳の大塚は、未来のあるゴーリーです。チームとしても「どうやって使っていこう」といつも考えていると思うし、代表でも正ゴーリーになりつつありますから。僕はコーチではないので、大塚、ソン・ドヒョンと、あくまで一選手として「いい争い」をしながら、チームに貢献していきたい。複数のゴーリーがレベルの高いパフォーマンスを続けることで、貢献度は増してくると思うんです。
(3月2日の交代については)いや…まあ、それこそ「うまくいかないなあ」という気持ちでした。とにかく「もがく」しかなかった。いいプレーをするために準備をして、次の試合に向けて前を向くしかなかったんです。昨シーズンは、これ以外にもノックアウトされるシーンが多かったんですが、その中で自分の目標だけは見失わないようにしてきたんです。
自分が失点を重ねて、途中で交代を告げられて、でも試合はまだ続いている。もう気持ちを切り替えるしか、できなかったんです。うまくいかなかったことをチームにぶつけるわけにもいかないし、もしそれをやってしまうと、チームからの信頼をなくしてしまいますから。これは自分の中での「戦い」でした。まずチームへの申し訳なさがあったし、かといって悔しさもある。ただ「リーグで優勝する」というチームの目標を考えた時に、その空気をゴーリーとして壊すことはできなかったんです。
本音をいえば、そりゃ悔しかったですよ。年齢を考えれば、「もう限界なのかな」という思いが出てきますしね。自分では「まだできるぞ」と思っていても、「ああ、こうなってきたのか…」という気持ちにどうしてもなってしまう。あの瞬間は、本当に自分との「気持ちの戦い」だったんです。
昨季は全日本選手権とジャパンカップで「優勝GK」に輝いたが、シーズンとして「乗り切れない」印象があった。「福藤は、これまでなのか」。そんな周りの見方に、明確な答えを出す1年にしたい契約するクラブがなくなるまで、僕はホッケー選手でいたい。「日本人として、史上初のNHL選手」。福藤を紹介するときに真っ先に使われる言葉だ。だが、今の福藤を見ていると、実績を振り返るよりも、ずっと「遠く」を考えていることがわかる。それは「自分は今でもアイスホッケープレーヤーだ」という生きざまであり、喜びだ。 昨シーズンが終わってから、けっこう早い段階で気持ちの切り替えはできたと思っています。春は代表活動もなかったですし、じっくり自分の時間をつくれた。左足も氷に乗れないほどの症状ではなかったですし、久しぶりにいろんなことを考え直せるオフでした。もう一度初心に戻るというか、「何のためにアイスホッケーをやっているのか」ということを考えた。オフに入って1カ月くらい、本当にあれこれ考えたんですよ。
僕がこの年齢までプレーを続けることに、いろんな「理由」をつけられがちじゃないですか(※9月17日の誕生日で43歳になる)。若い選手との戦いとか、避けて通れないものもあるんですが、やっぱり僕はアイスホッケーが好きで、チームの一員としてできるチャンスがある限りはプレーを続けたい。「何年経ってもその大切な部分は変わらないんだな」と思ったんです。
終わりが近づいているのは自分でもわかっていて、でも、どこまでプレーできるのか、自分では決めたくない。自分で自分の引退を決めたくはないんです。
クラブから引退することを勧められて「そうですか。じゃあ僕は引退します」というのは嫌だな、と。プレーするチームがないのであれば引退を受け入れなきゃいけないんですけど、契約するクラブがあるのか、ないのか、そこまで行ってみたいんですよ。あれこれ理由をつけて引退するより、「契約するチームはもうないのか。それなら引退するしかないな」と思って辞めるほうが納得がいく。その日まで僕はアイスホッケー選手でいたいんです。
本音をいえば、このままの状態では終わりたくはない。開幕はこれからですけど、今シーズン、めちゃくちゃ楽しいんですよ。久々に体の調子もいいですし、トレーニングしていても、氷上練習をしていても、すごく楽しい。そういう気持ちで毎日を過ごせているので、自分の体と向き合いながら、変化を楽しみたいと思っています。
シーズンに入ってしまえば、調子が悪いことも出てくるでしょう。でも、今年はなんというか、気合が入っているんですよ。僕はずっと代表でやってきて、ここ数年は(レッドイーグルス北海道の成澤優太に次ぐ)二番手というのは体感できた。でも、バックスではそういう序列を体感していないんです。昨シーズンがたまたまそうであっただけで、今シーズンはどうなるかわかりませんからね。
なぜ、このリンクに立ち続けるのか。それを見る人に伝えたいと思います。アイスバックスでリーグ優勝したいと思ってチームに携わっていますし、そういう「あきらめの悪さ」を、リンクの上で見てほしいんです。
福藤 豊 ふくふじ・ゆたかH.C.栃木日光アイスバックスGK。1982年9月17日生まれ、北海道釧路市出身。185センチ・83キロ、背番号は「44」。美原小、景雲中から宮城県の東北高校に進み、2000年に日本リーグのコクドに入社。ルーキーシーズンの2002-2003ECHLシンシナティでプレーし、その後コクドへ。2004年6月にロサンゼルス・キングスにドラフト8位で指名され、2004-2005にECHLベーカーズフィールドに渡る。2005-2006にAHLマンチェスター、ECHLレディングを経て、2006-2007途中にロサンゼルスでNHLに初出場。その後はECHLとオランダでプレーし、2010-2011シーズンにアイスバックスへ移籍する。2014-2015はオランダに戻ったものの、翌年に日光へ復帰。日本代表としても活躍している。