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2025-12-09

【連載 泣き笑いどすこい劇場】第35回「写真」その1

宇佐市の双葉山像の前で同じポーズで写真に収まった白鵬。『月刊相撲』平成25年1月号の表紙を飾った

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思い出をいつまでも生き生きと残してくれるのが写真だ。
立場上、被写体となることが圧倒的に多い力士たちだが、
やはり様々なかたちで写真に関わり、数多くのエピソードを残している。
自分を奮い立たせてくれた写真、
その裏にさまざまな感情が交錯した写真。
そんな写真にまつわるエピソードを集めてみた。
※月刊『相撲』平成22年11月号から連載された「泣き笑いどすこい劇場」を一部編集。毎週火曜日に公開します。

信奉される大横綱

双葉山、と言えば、白鵬の名が反射的に浮かぶ。とにかくその信奉ぶりは大変なものだった。平成23(2011)年の暮れの力士会で、

「国技館(の敷地内)に双葉山の銅像を建てたい」

と提案し、出席した力士たちを驚かせたことがある。歴代横綱の銅像は、それぞれの出身地に建てられることが多い。双葉山のそれも大分県宇佐市に建てられ、大相撲の聖地の両国国技館内に建立された横綱はこれまでいない。

この白鵬の「国技館に来てくれたみなさんに双葉山を見てもらい、その偉大さを実感してもらいたい」という一念から飛び出したビックリ提案、残念ながらさまざまな理由でいまだに実現に至っていないが、いかにこの大横綱に憧れ、慕っているか、あらためて思い知らされた出来事だった。

もっとも、双葉山を敬愛しているのは白鵬だけではない。平成13年夏場所14日目、横綱貴乃花は大関武双山(現藤島親方)戦で右ヒザの亜脱臼や半月板損傷などの負傷を負った。翌場所から7場所連続して全休する重傷だった。

打ち出し後、貴乃花は、ただちに両国国技館近くにあるかかりつけのトレーナーの治療所にかけこみ、応急手当を受けている。治療は長引き、横になっていた貴乃花は何気なく傍らにあった本を手に取った。『写真で見る双葉山』という双葉山写真集だった。すると、貴乃花は、はじかれたように体を起こし、

「横綱、まだ治療は終わっていません。もうちょっと横になっていてください」

と制すトレーナーにこう言った。

「いや、双葉山関の本を横になって見るワケにはいかない」

貴乃花もまた、相撲を相撲道にまで高め、追求し続けた双葉山を心の底から敬愛していたのだ。ヒザの痛みに耐えながら優勝決定戦で武蔵丸を左の上手投げに破り、生涯最後の優勝を遂げたのはこの翌日のことである。この勝負がついた直後の歯を食いしばり、目をみはったものすごい顔つきは“鬼の形相”と言われ、写真はもちろんのこと、版画にもなっている。

それから12年経った平成25年6月9日、北の湖理事長(第55代横綱)の赤い綱を締めた還暦土俵入りが両国国技館で華やかに行われ、貴乃花親方は乞われて露払いを務めた。太刀持ちは九重親方(元横綱千代の富士)だった。

貴乃花親方が綱を締めるのは平成15年6月1日の引退相撲以来のことで、

「横綱昇進を決めたときの気持ちが甦ってきた。天にも昇るような一日です。ただ、この写真が一生残ると思うと心細い」

と苦笑いしている。ちなみに、鬼の形相のときの貴乃花の体重は157キロ。このときはおよそ半分の85キロだった。

月刊『相撲』平成25年9月号掲載

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