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2025-12-16

【連載 泣き笑いどすこい劇場】第35回「写真」その2

断髪式後、整髪しながらインタビューに答える錣山親方。亡き母の写真をそっと忍ばせて土俵に別れを告げたことを明かした

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思い出をいつまでも生き生きと残してくれるのが写真だ。
立場上、被写体となることが圧倒的に多い力士たちだが、
やはり様々なかたちで写真に関わり、数多くのエピソードを残している。
自分を奮い立たせてくれた写真、
その裏にさまざまな感情が交錯した写真。
そんな写真にまつわるエピソードを集めてみた。
※月刊『相撲』平成22年11月号から連載された「泣き笑いどすこい劇場」を一部編集。毎週火曜日に公開します。

亡き母と共に

男社会のせいか、力士は母親っ子が多い。その中でも、飛び抜けていたのが“土俵の鉄人”と言われ、39歳まで現役を務めた寺尾(元関脇)だ。

入門のきっかけも、安田学園高2年だった昭和54(1979)年5月20日にガンのために亡くなった母節子さんの死だった。以来、財布の中に節子さんの写真を忍ばせ、それをいつも左の胸のポケットに入れて持ち歩いた。

平成7(1995)年2月に入籍した伊津美夫人とのデートも節子さんのお墓参りで、毎年、大みそかも正月も参ることを欠かさず、ある年の正月、伊津美夫人が、

「昨日行ったから、今日はいいんじゃないの」

というと、寺尾は澄ましてこう答えたという。

「いや、年は変わったから行こう」

そんな寺尾が23年間の現役生活にピリオドを打ち、土俵を降りたのは平成14年秋場所。それから8カ月後の平成15年5月31日、両国国技館で引退相撲を行った。横綱貴乃花の引退相撲の1日前のことだった。マゲにハサミを入れたのは318人。交流の広さを物語るように、その中には歌手の松山千春さんや細川たかしさん、俳優の中井貴一さん、神田正輝さん、プロレスラーの高田延彦さんらがいた。

最後に師匠で次兄の井筒親方(元関脇逆鉾)がマゲを切り落とし、大仕事を終えて引き揚げてきた寺尾改め錣山親方はこう言っ左胸をそっと抑えた。

「女の人を土俵に上げちゃいましたよ。いけないとは思ったんですけど」

その懐中には節子さんの写真を忍ばせてあった。母の死でスタートした力士人生。最後も母と一緒に、という思いの現れだった。

月刊『相撲』平成25年9月号掲載

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