髙山さんに報告した時、握手をしたら
力が伝わってきて動いたんです
――こういう場合、一番のベストバウトは?ということを聞かれるところですが、それとは別にいい思い出として残っている試合があったらお願いします。タイトルマッチや大きな試合でなくとも、地方での6人タッグマッチとかでもそういうものとして残っているのがあれば。
樋口 それを言うなら坂口さんとのKO-D無差別級戦ですね(2022年10月23日、後楽園)。
――チャンピオンとして坂口選手の挑戦を退けた一戦ですね。
樋口 あの試合でEruptionからハリマオっていうのが全部帰結したんで。あれは、本当に「こんなことが起こり得るんだ!?」でしたよね。それこそドラマティック・ドリームとはよく言ったもので、自分の想像を超えるドラマが現実のものになった。激しい試合だったらほかにいくらでもあるんですけど、あの試合はそれとはまた違う表現によるものだったと思うんです。
――これもめぐり合わせなのか、Eruptionのメンバー4人のうち3人がリングを離れることになり、岡谷英樹選手のみが残る形です。
樋口 岡谷が今、どういうことを考えてやっているのかはわからないですけどこの前、シングルのチャンピオン(EXTREME王座)になれてよかったなって思います。自分の好きなようにやればいいんですよ。
――引退後ですが、何をやるか見つかっていないと言われていました。
樋口 こうなってみてわかりましたね。プロレスラーを目指してプロレスラーになって、それで一応飯を食えるようになって…って続けてきたら、自分の中にほかのものが何もなかったんです。本当に、プロレス一本だったんだなって実感できた。だから、ここはじっくりと時間をかけて考えようと思っています。
――相撲、プロレスに続く第三の人生が始まるわけですが、幸いなのはその第三の人生を一人で歩くのではないということです。奥様にプロレスをやめると伝えた時は、どんな反応でしたか。
樋口 本人に聞いてみないとどういう気持ちなのかはわからないですけど、伝えた時は「よかった…」という感じでしたね。たまに見にきたりしてくれていたんですけど「見ていられない」というようなことを言われたこともあったんで。それこそ、前に首のケガで欠場していた時も復帰までの姿を見ていましたから、そういう意味で心労をかけたなっていうのはあります。
――でも、そこでよかったと言ってもらえたのは救われましたよね。それって、プロレスラー・樋口和貞ではなく一人の人間として大切に思ってくれているということじゃないですか。その上で、決断を尊重してくれた。
樋口 いや、本当にその通りだと思います。これ、自分一人だったらおそらく停まれていなかったと思うんですよね。今回の結果があろうがなかろうが、今まで通りの試合をずっとやっていて、限界が来ても続けたはずです。でも嫁さんがいてくれたおかげで、その前に停まることができたし、それを受け入れることもできた。本当に、感謝です。
――一緒に生きていくって、こういうことなんだと思います。
樋口 捨てられないようにしなきゃいけないッスねえ。
――その絆の強さがあるんだから、それはないでしょう。今の時点では、プロレス以外に興味が持てるものもないんですか。
樋口 興味はあっても、実際にやりたいかどうかは別じゃないですか。たとえば蕎麦屋さんとか、魚を捌く仕事とか。親父がトラックの運転手をやっていたんでドライバーとか…免許、持ってないですけど。いくつかありますけど、それは今の段階で目指しているものではないんで。
――でも、樋口選手はやってみたらなんでものめりこんで身につけられるタイプなんじゃないですかね。
樋口 たぶん、そうだと思います。なので、いろいろやってみて、その中から目指そうと思えるものを見つけようと。だから、まずはバイトから入っていくつか経験してみます。
――相撲部屋でちゃんこを作っていたので、料理ができるのはアドバンテージです。
樋口 いやあ、飲食は厳しいですから。そう考えると、難しいッスよね。
――会見では「見るとプロレスがやりたくなってしまうので、見ないようにします」と言っていました。ただ、できなくなるとはいえプロレスは好きでしょうから実際のところどうするのかと。
樋口 たぶん見ちゃうとは思うんですけど、今は正直に、見たくないです。未練がましいって言ったらおかしいかもしれないですけど、いったん距離を置きたいとは思います。そうじゃないと、第三の人生の一歩を踏み出せないんで…それほどね、さっきも言いましたけど「俺はプロレスをやるためだけの人間だったんだな」ってつくづく思います。手元に何も残っていないぐらい体を酷使するって、プロレスキ●●イみたいな人間じゃなければできないことなんですよね。
――本当に、自分をプロレスに捧げました。
樋口 捧げたと言ったら大袈裟になるかもしれないですけど、人って自制心が働く生き物であるはずなのに、プロレスに関してはそういうのが関係なくなっちゃうんで、言われてみたらそうかもしれないですね。
――最後に、DDTへ入って一番よかったと思えることはなんでしょう。
樋口 ……(長考)じっくり考えなければ明確な答えは出ないんでしょうけど、プロレスラーにしてくれたっていうのが一番デカいですね。人によっていろいろな見方はあるでしょうけど、自分としてはいっぱしのプロレスラーになれたと思っているんで。それはDDTだからこそなれたんだと思うんです。ちゃんと、子どもの頃に思い描いたプロレスラーというものにさせてくれた。
――子どもの頃に描いた通りになれたんですね。それはよかった。
樋口 一発目に見た試合が、ズタボロになったスタン・ハンセンだったんですよ。
――不沈艦がズタボロになったんですか。
樋口 もちろん当時も強かったんですけど、その頃はもう後期で年も重ねてヒザも上がらない状態でボロボロだったのに対し、小橋(建太)さんと秋山(準)さんが伸び盛りで。でも、そこからハンセンが立ち上がって田上(明)さんと最後まで頑張る姿がカッコいいって思ったんです。
――それは1999年の「世界最強タッグ決定リーグ戦」の優勝戦?
樋口 ああ、そうです! あの時のハンセンの姿にちょっとは近づけたかなって。もしかすると他団体だったらなれていなかったかもしれない。DDTが自由にやれる土壌だったからというのもあると思うんです。その中でこうやって自分を確立できたのは…うん、よかったッスよね。
――ファンに対しては「感謝しかないです」と言っていました。
樋口 DDTのファンって独特な部分もあって、その感性が自分の持っているものと波長が合っていたんでしょうね。だからこの団体があって、そのファンがいてこその樋口和貞でした。
――波長が合うのであれば、引退したあともDDTのファンでいてほしいです。
樋口 それを言われて今、思い出しました。引退を決めてから髙山(善廣)さんへ報告するためご挨拶にいったんです。
――直接報告できたんですね。
樋口 その場で「これからは一ファンとして見ることになりますが…」と言ったら「いや、違うだろ。仲間だろ、おまえは」と言ってくださって。「うわー…」ってなりましたよね。だからファンではなく、これからも仲間としてDDTのいく末を見守っていこうとなりました。見ないかもしれないですけど。でも、その時に初めて「もっとやりたかったなあ」って思いましたね。悔しかったです。
――……。
樋口 自分の中ではケジメがついていたはずなのに、髙山さんにそう言われた時だけ…最後、握手してくださいって手を握ったら、グッと力を入れたのが伝わってきて、ちょっと動いたんです。
――!!!
樋口 すげえ!って思って。それもあってなんでしょうけど、帰りに街を歩いている時に「やめたくねえなあ…」って。引退することに対し納得して、仕方がないことだと理解している人間にそう思わせるほどの力が、髙山さんの手にはあったんでしょうね。
――凄い話です。
樋口 髙山さんに直接言えて、よかったです。
――4月5日の引退セレモニーでは、テンカウントゴングをやるんですよね。
樋口 はい。今まではテレビの画面を通してだったり、客席から聞いたりだけだったんでリング上で聞くテンカウントゴングがどんなものなのか聞いてみたいんで。
――本当に、完結なんですね。
樋口 いろんなことがありましたし、思うところもたくさんあるんですけど、これで自分はよかったんです。本心で思います。楽しかったなっていうのが、デカいですね。
――ご自身がそう思えるのであれば、それに勝るものはないです。
樋口 運もよかったから、こうなったわけですし。それも踏まえてこの団体でよかった。
――団体としてしっかりと検診を実施してきたらから、命を救われた。
樋口 ちゃんと選手のことを考えてくれて、自分の意思も尊重してくれるDDTという団体とめぐり合えたわけですから。本当に、出逢う人たちに恵まれたプロレスラー人生だったので、これからも自分の人生はいいものになると思っています。