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2026-04-21

入江、彰人、岩本、阿部らを輩出…名古屋のプロレスシーンを築いてきた「愛プロレス博」の“現在”【週刊プロレス】

2012年11月4日、Zepp Nagoyaにおける愛プロでデビューを果たした石田(左)と岩本。今ではそれぞれの道を歩む二人だが、昨年12・21今池ガスホールの愛プロ2025で9年ぶりの一騎打ち

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2023年時点のデータによると、日本全国には36都道府県にプロレス団体がある(サイト「かめたくルーム 自由気ままに着て観て食べて」調べ)。それほどローカルプロモーションは数多く存在し、地域密着の活動をおこなっている。
 その中でも愛知県は名古屋を中心に独自の磁場を誇っており、アマチュア団体JWAからプロに変わった東海プロレス、平成初期の時点でウルトラマンロビンがスタートさせたSGPの二大“老舗”以後、東京、大阪に匹敵する数のプロモーションが生まれてきた。2008年設立のスポルティーバ・エンターテイメントは、市内の鶴舞に常設会場のスポルティーバアリーナを持つ。
 JR線下にある同スペースは、試合中に天井からゴトンゴトンという電車の走る音が聞こえてくる。スポルティーバ以外の団体にも貸し出し、名古屋の選手たちも試合に出場し経験を積んでいる。
 名古屋にゆかりのある選手を羅列すると彰人、岩本煌史、阿部史典、久保田ブラザーズ(以上、スポルティーバ)、入江茂弘(チームでら)、杉浦透、正岡大介、伊東優作(以上、DEP)など。地元だけでなく、日本のプロレスシーンをけん引する人材がアリーナの情景を知っている。
 そのスポルティーバが、名古屋のプロレス力を結集し開催するのが「愛プロレス博」。もともとはスポーツバーだったのが、地元のインディープロモーションやその選手たちが代表である斉藤涼氏(現・会長)を頼って集まるようになり、自ら興行を手がけたのが2006年11月11日の第1回大会だった。愛プロを開催しなかったら、スポルティーバも興行会社にはならず、今以上に小さなプロモーションが分散し名古屋ならではのプロレスシーンは生まれていないだろう。
 地元の選手にスポットが当たるための愛プロではあるが毎回、実力やネームバリューのあるプレイヤーを招へいすることにより、単独で東京の団体が来ておこなうものとは明らかに違う独自性を提供。現・DDTの彰人も、愛プロで大谷晋二郎(当時ZERO1-MAX)を相手にデビュー戦をおこなった。
 また全日本プロレス所属時には世界ジュニアヘビー級王座を獲得した岩本煌史や、今やメジャー・インディーを問わず売れっ子となった阿部史典も愛プロでデビュー。2013年には、それまで開催していたZepp Nagoyaが使用できなくなったにもかかわらず、彰人がDDT所属になるということで、スポルティーバアリーナに男色ディーノを呼び、ソウルフルな壮行試合をおこなった。
 名古屋で生まれ、育ったプロレスラーを語る上で愛プロは外すことができない。2014年はアリーナの契約満了→閉鎖により開催できなかったが、その年末に営業を再開し翌年より復活。名古屋国際会議場、クラブダイアモンドホールと会場を変えつつ2019年まで継続し、コロナ禍を乗り越えて2024年より復活する。
 そんな名古屋のプロレスの歴史を描いてきた愛プロだが、今年は5月3日(日=祝)愛知・今池ガスホールにて開催。第1回以来、毎回ごとのテーマ(サブタイトル)を決めてそれをリング上で選手たちが体現してきた。
 革命、絆、勇気、若鯱、挑戦、キセキ(軌跡、奇跡)、友、夢、その向こうへ、未来、光、紡ぐ、証明、鼓動、ひたむき、誕生、届けに次ぐ今回のサブタイトルは「ONE TEAM」。まさに名古屋の選手たちが一丸となり、一つのムーブメントを生み出そうという気概を表している。
 一時は岩本と阿部、そして現在も名古屋にとどまり“実家”を守る石田慎也の3人しかいなくなったスポルティーバも(元・新日本プロレスのエル・サムライも在籍するが、絶賛休業中)、最近はプロレスラーを目指す者が一人、また一人と鶴舞を訪ねるようになり、所属選手も増えた。今回も新たにデビューを果たす者がいる。
「2015年に復活したんですけど、そのあとの2016年と2017年はやらなかったんです。使える会場がどんどんなくなっていって、いい場所がないとテンションが上がらないよねとか言いながら、要はやらなくていい理由を探していたみたいなところがあった。
 僕の中では最後のZeppになった2012年が最高傑作で、2013年に彰人を送り出したことで喪失感もあって。そうやってモチベーションが上がらなかった中で、この数年は今池ガスホールさんでプロレスをやらせていただける流れができたのと、練習生が入ってくるとそのデビューの場を作るという理由づけもできてきた。それで継続している部分があります」(斉藤氏)
 この数年のデビュー組は、清水祐35歳、大舘(おおや)裕太39歳、ワタナベ“関羽”マサノリ33歳、大野龍太郎35歳と、三十代を過ぎて門を叩いた者が多い。すでに社会人として生計を立てる身になりながら、それでも夢を捨てきれぬ者たちが全国から集まってくる場になっているのだ。
 大野は年商30億円という大会社の社長であり、清水はノリ・ダ・ファンキーシビレサス(名古屋のラップグループ・nobodyknows+のメンバーとして紅白歌合戦に出場経験あり。現在はプロレスを引退)にあこがれ神戸から名古屋に出てきて、医療従事者として働く傍らスポルティーバアリーナに通い練習を重ねた。そして全国的にもニュースで報じられたのが、全盲のハンディを背負いながらリングに上がる大舘だ。
 広島県福山市出身の大舘は生後間もなく、小児がんにより右目を摘出、高校生の頃から小橋建太にあこがれてプロレスラーを目指しジムで体を鍛えるも、病気により辛うじてあった左目の視力も完全に失った。高校卒業後は鍼灸マッサージ師の資格を取得し石川県でマッサージ業を始め、一児の父となる。
 30歳を過ぎた時に膀胱がんを発症、2年後に肝臓への転移が見つかり、死と直面したさい生きている間にやり残したこととしてプロレスへの思いが蘇ってきた。「諦めない気持ちを息子へ見せるため」に、大舘は家族全員で名古屋へ移住。マッサージ店でアルバイトをしながら練習を続け、2024年7月28日の愛プロでガンバレ★プロレスの大家健を相手にデビューを果たした。
 相手が見えぬ状態でコンタクトスポーツをおこなう感覚は、我々では想像し得ない。本人は「音と相手から発せられる熱を感じて闘う」と説明する。
 事情を知らぬ人間がそのファイトを見たら、全盲だと気づかぬだろう。それほど現在の大舘は成長を遂げ、勝ち星もあげられるようになった。
「周りの先輩たちからも『おまえ、やっているうちに見えてきているんじゃないか』って言われるぐらいですから。それは裕太にとって最高の誉め言葉ですよね。ちゃんとプロレス頭も働くし、体の動きもそれに対応できている。僕から見ても、こいつはすげえな!って思いますもん。
 おかげさまで彼の存在は世間にもじわじわと広まりつつあります。それは本人だけでなくプロレス界にもフィードバックされるでしょう。プロレスラーとしてリングに上がるのが裕太の夢だったわけだけど、そこで達成して終わりじゃない。彼はもう、次の夢に向かっています。WWEにいくことです。日本のプロレス団体で、彼を抱き締めきれるところはないと思っていて、じゃあ世界にいこうぜって話しているんです。アメリカは多様性を重視する国ですし、そういうチャレンジに対し前向きにとらえてくれますから」
「WWEからいっぱい契約金をもらえたら1億円会長にあげるんで、それでスポルティーバアリーナの拡張工事をして、もっとここを大きくしましょう!」と、大舘は笑顔で夢を語るのだという。その大舘と同期であり、5・3今池では若手リーグ戦「若鯱リーグ」の優勝を懸け開本(ひらきもと)貴洋(ダブプロレス)と闘う名島(なじま)アリも、名古屋の枠を超える存在になると斉藤氏が期待する男。
 名島の父は熱烈なるアントニオ猪木信者で、兄がハルク、自身はアリ(吾莉)と名づけられた。ちなみに3人目が生まれたらアンドレだったらしい。2023年10月の格闘探偵団を見て感化され、一度は諦めたプロレスラーを目指すことを決意し、阿部の紹介でスポルティーバへやってきた。
 阿部に影響受けまくりのバチバチファイトで、最近は在京団体にも呼ばれる機会が増えた。かつての岩本と石田のように、名島と大舘はライバルストーリーを紡ぎ続けており、それをもっと多くの人に知ってほしいと斉藤氏は願う。
 そして5・3今池でデビューする澤田功太郎は19歳。当初は「新日本プロレスに入りたいんですけど、どうしたらいいでしょうか」と親子で相談に来たのだが、履歴書を送るもナシのつぶて。
 その中でアリーナを手伝いながらほかの練習生がデビューしていく姿を目の当たりにしたり、名古屋出身の先輩たちへのリスペクト心が芽生えたりしたことで「名古屋でデビューさせてください」と斉藤氏に頭を下げた。デビュー戦の相手はOBの岩本であり、時間があればスポルティーバに来て練習を見てくれたという。
「所属選手がほぼほぼ同じキャリアでありながら、十代から三十代まで幅広くなったので今、いい座組なんですよ。社会的にもちゃんとした大人がいるから、いろんな形で指導もしてくれるし。各セクションを分業して、みんなが責任持ってやってくれるシステムができあがりつつあるので、僕が何か言わなくても話が進むようになりましたね」
 アリーナ自体の閉鎖、選手不足、コロナ禍…これまでスポルティーバは何度となく危機に直面し、そのたびに切り抜けてきた。気がつけば、愛プロも今年11月で20周年を迎える。
 そして前述のように多くの人材を輩出してきたわけだが、ローカル団体にとって成長した選手がさらなる高みを目指し、東京へ出ていくのは宿命のようなもの。斉藤氏は、それを何度となく経験してきた。
 戦力となった選手が名古屋に留まれば団体として、シーンとしてもっと大きくなれる。だからといって、斉藤氏が待ったをかけたことはない。
「誰かが名古屋を離れると、またほかの人間がやってきて、その中で勝手に使命感を持っちゃってやめられなくなっているんでしょうね。この呪縛から解き放たれて楽になりたいと思ったことなんて何百回もあるし、毎週の定期興行(水曜カレープロレス)でカレーを仕込んでいる時も『なんでこんなことをやっているんだろう…』ってよく思います。
 でも『初めてプロレス見に来たらメチャクチャ面白かったです!』っていう人たちがいると、20年やってきて少なからず業界に貢献できているのかなと思えるので。草の根活動でここまでやってきて名古屋での知名度、選手育成も含め、名古屋の文化を維持するためにも続けなければいけないっていうのがあるから、続けられているんでしょうね」
 水曜カレープロレスも定期開催を続けて15年。50~60人入ればパンパンになる箱の半分以上が、プロレス観戦は初めての人という日も珍しくない。場内実況と解説を入れてプロレスの楽しさ、ルールなどをそのつど伝えている。見逃されがちながら、大切なことだ。
 名古屋を離れた選手たちも東京で、全国で名をあげたあとも、天井を電車が通過する中で試合をしてくれる。むしろ、実家に帰って来られるのが喜びなのだ。
 筆者自身、過去の愛プロで岩本や石田、阿部のデビュー戦を見られたことが財産となっている。そこから始まる物語を心に刻むのは、なんらかの形で線となりプロレスを見る上で豊かなものをもたらす。
 この日、出場する入江、岩本、阿部、杉浦らもそこに期待をこめてリングに上がるはず。プレイヤーもワクワクできるものが、愛プロにはあるのだ。
「巣立ってもみんなたまには帰ってきてくれるので、それがウチの一番のストロングポイントなんじゃないですか。OB連中が今の若い子たちにちゃんと練習をつけてくれる。それによって名古屋のプロレスという文化も継承されている。だからみんな、所属でなくなっても所属のような感覚なんですよ。単身赴任している兄ちゃんが帰ってきたみたいなね」(斉藤氏) 
                     
                           (文・鈴木健.txt)

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