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2026-06-12

地獄のワンナイト3連戦を耐え抜いたアントニオ猪木が本場所4連覇【プロレス史あの日、あの時1981年6月4日/週刊プロレス】

第4回MSGシリーズ決勝戦を報じた「プロレス」1981年7月号(週刊プロレスmobileプレミアムで配信中)

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1981年6月4日
第4回MSGシリーズ決勝進出決定戦&決勝戦◎アントニオ猪木vsタイガー・ジェット・シン、スタン・ハンセン@蔵前国技館

かれこれ20年近く、テレビ朝日が保有するプロレス試合のアーカイブを(監修の立場で)定期的にチェックさせて頂いた。過去の試合をBS放送、CS放送、DVD化するにあたり、コンテンツの日時、背景を特定して内容も吟味し、商品化するための作業をする必要があるためだが、なぜか本稿の「ワンナイト3連戦」は一回も商品化されたことがなく(テレ朝に美しい画質の映像が残っていない)、昭和世代の猪木マニアからすると「エアポケット」的なビッグマッチになっている。このような試合は、私が個人的に録画したVHSテープを見返して内容を点検する必要性が生じるが、3試合の合計時間が長いことや、決勝ということでセレモニーも放送時間内に収録されているため(残念ながら)どうしても「肝心の試合」は半分近くがカットされている。盛り上がった場面だけ繋ぎ合わせると、必然的に猪木の「バテバテになったシーン」だけが繋ぎ合わされてしまい、「猪木も全盛期のスタミナがない」という辛口の批評になってしまうのだが、この日の3試合を、自分のホームビデオで撮影したマニアが3年ほど前に「ノーカットで」ユーチューブにアップしてくれたことがあった。当時、会場にいて生でも見た試合なのだが、再度ノーカットのビデオで見たとき、私の評価は一変した。会場内で生観戦したときに持った感想とは異なり、「猪木のスタミナは、この時点ではまだ十分に健在だった」という新しい発見ができたからだ。この「一日3試合」が商品化されなかったことは痛恨の極みで、プロレス名勝負映像の丹念な、そして切れ目のない一貫した保存が、いかに困難かを再認識させられた。

本稿のMSGシリーズは、決勝戦前日の予選終了段階で猪木とシンが同点。1点多いハンセンとの対決権利を得るため、まず猪木とシンによる「優勝戦進出決定戦」が組まれた。私が前述した「猪木のスタミナは健在だった」というのは、この試合の前半部分を見返したときの感想で、18分34秒の死闘を休みなしで闘い抜いている。両者リングアウトに終わったため延長戦となり、ここもシンの凶器攻撃、急所攻撃を耐えぬいて反則勝ち(3分35秒)。一旦は控室に戻ったものの3分後には優勝決定戦のゴングが鳴ったため、まさに「ノンストップ3連戦」という地獄の耐久レースを強いられた。シンと22分も闘ったあとにハンセンとやるのだから、これ以上のハンディキャップマッチはない。ゴング前の奇襲ラリアットで半失神状態から試合開始となり、とにかく攻勢の場面がないほどに劣勢の連続となった。最後は場外でハンセンのラリアットをかわした猪木が、エプロンからドロップキックを浴びせてリングアウト勝利を拾ったが、ドロップキックの段階でレフェリーのカウントはストップされるべきところを、そのまま数えられてのカウントアウトだったため、場内にはブーイングも起きた(7分45秒)。お世辞にも鮮やかなフィニッシュとは言えなかったために「名勝負」としての評価が起きなかったことも事実だが、とにかく猪木が合計29分54秒の試合時間を耐え抜いたことが特筆に値した。シンがこの一戦を最後に全日本プロレスに転出したこと、ハンセンもこの年の12月に全日本に引き抜かれたこと、そして猪木のMSGシリーズ優勝もこれが最後になったことを考慮に入れると、この夜の3試合が日本のプロレス史に残した歴史的な意義は大きい。スタミナのあるアスリートに対して、昔はよく「蛇のようなスタミナ」という喩えが用いられたが、この時点の猪木はまだまだ“蛇”だった。

流 智美

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