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2020-05-05

【私の“奇跡の一枚” 連載68】“南洋場所”事始め名古屋場所いいたい放題(昭和33年8月号再録)

暑い盛りの風物詩でもある7月本場所は、昭和40(1965)年より冷房完備の愛知県体育館で開催されているが、本場所に昇格した初期の33年からの7年間は、空調とは縁のない施設「金山体育館」で開催されていた。そのため真夏の天候と熱戦とファンの熱気が重なった暑さは想像を絶し、『南洋場所』と呼ばれた。7月場所60回目にあたりそんな『臨場感』と詳細を、そのまま感じていただくべく、ここに当時のレポートを抄録する――。

写真上=ヨシズ張りで、氷柱が太刀、扇風機がうなる真夏の名古屋場所支度部屋風景。なおこの写真、氷柱がハッキリ見えないのは、涼を取りたい力士たちのタオルが掛けられているため
写真:月刊相撲

 長い人生には、誰にもエポックメーキングな瞬間があり、それはたいてい鮮やかな一シーンとなって人々の脳裏に刻まれている。
 相撲ファンにも必ず、自分の人生に大きな感動と勇気を与えてくれた飛び切りの「一枚」というものがある――。
 本企画では、写真や絵、書に限らず雑誌の表紙、ポスターに至るまで、各界の幅広い層の方々に、自身の心の支え、転機となった相撲にまつわる奇跡的な「一枚」をご披露いただく。
※月刊『相撲』に連載中の「私の“奇跡の一枚”」を一部編集。平成24年3月号掲載の第2回から、毎週火曜日に公開します。 

暑い土俵の対策

 名古屋場所は昭和26年から準場所になり、以降毎年2月に行われてきて、昨年は本場所に備えて7月に変わったことで、力士も観客も十分に慣れてはいた。しかしそれがお互いに準場所慣れしてしまって、本場所になってどうかという心配もないではなかった。そこへ持ってきて7月の名古屋の暑さは定評のある所である。気を入れて取ろうとしても取れないのではあるまいかと心配もされた。

 ところがフタを開けてみたら、土俵は初日からみな真剣であったし、見ていて面白かった。相撲を取るのに汗で滑ってダメだろうという人もいたが、そんなことより夜の暑さで寝苦しいことが体力を消耗するのではないかと思われたが、まずそれがなかった。

 協会としても力士のコンディションをよくすることには気を配っている。

 その第一には「時間です」と土俵下の呼出しが出すおシボリである。このおシボリは氷水で絞ってあって、その上へ香水が2~3滴たらしてあるもので、力士連中はさっぱりと気持ちがよいことであろう。

 支度部屋をよくすることは、名古屋を本場所にする際の力士側の要求の一つだったが、これは準場所時代よりはよくなった。大阪、福岡と比べても悪くはない。第一位広々としているのがよい。幕内、十両と両方の支度部屋が同じような大きさでヨシズ張りだがユッタリしている。天井はトタンで、照りつけるとさぞ熱いだろうと思ったら、その下に天幕を貼ってあるのでこれもまあまあだし、扇風機が東西にそれぞれ10台以上ある。東京(蔵前国技館)の完備した支度部屋から見れば不平もあろうが、まず及第点をやってもよかろう。

 この場所の特徴の一つに「酸素放出」というのがある。これは冷房も換気もできぬ館内事情から考え出されたことで、1日に2回、酸素ボンベからの放出を行うのである。ボンベ1本が7000リットルということで、これを土俵に近い4つの花道のところで消防員立ち合いで放出するのである(シューッという激しい音を立てる)。これで場内の炭酸ガスで汚染された空気を換えるとともに冷気を入れるという一石二鳥で、この案は大成功であった。気分かもしれないが、大衆席の上の方まで涼しくなるようである。費用は1回分が600円、4か所で2回やるので一日4800円である。これは効果があった。相撲協会も時々こういう進歩的ないいところがある。

(注)なおこの場所、土俵上の屋形の照明に、熱を伴わないという意味で全面蛍光灯が採用されたが、力士の肌色が青白く死んだように見えると評判が悪かったことが報告されている。

語り部=国士無双(本誌記者)

月刊『相撲』平成29年8月号掲載

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