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2020-04-10

【連載 名力士たちの『開眼』】 大関・清國勝雄編 残暑の厳しい稽古場で遭遇した人生の指針[その6]

“棚ぼた”の優勝だったが、次の秋場所に優勝か準優勝でもすれば、たちまち「横綱」の声が掛かる。周囲は一気に色めき立った。

※写真上=昭和49年初場所、引退を発表。左は師匠・伊勢ケ濱親方(元横綱照國)
写真:月刊相撲

 果たしてオレは、この大相撲の世界で大成できるのか――。
 周りのライバルたちとはもちろん、自分の心の中に渦巻く不安との闘い。そんな苦しい手探りの中で、「よし、これだっ。こうやったら、オレはこの世界で食っていけるぞ」と確かな手応えを感じ取り、目の前が大きく開ける思いがする一瞬があるはずです。
 一体力士たちは、どうやって暗闇の中で、そのメシのタネを拾ったのか。これは、光を放った名力士たちの物語です。
※平成4~7年『VANVAN相撲界』連載「開眼!! 相撲における[天才]と[閃き]の研究」を一部編集。毎週金曜日に公開します。

【前回のあらすじ】大関に昇進した昭和44年名古屋場所、気張らずマイペースで土俵に上がったのが望外の幸運を手元に引き寄せる。14日目終了時点で大鵬、平幕藤ノ川と11勝3敗でトップグループを形成。千秋楽は大鵬を撃破し、藤ノ川との決定戦に臨んだ。逃げ回る藤ノ川を最後は捕まえ、史上4人目の新大関優勝という快挙を成し遂げる――

綱取り場所で負った手痛い致命傷

 人間の器量というのは生まれたときに決まっている――。

「オレは大関までの器。大鵬を見れば、そのことがよく分かる」

 清國はそれまでそう思っていた。しかし、いざ、目の前に横綱の座をぶら下げられてると、手を出したくなるのが人間の本性だ。

「ようし、一丁、やってみるか」

 ついに清國もまわりの熱気に煽られ、自分の器量を忘れてその気になった。幸い、調子は悪くない。

 初日、幸先よく朝登に快勝し、2日目。相手は麒麟児(のちの大関大麒麟)だった。清國はいつものように頭からぶちかまして出ていった。ところが、その頭が麒麟児の体に触れた瞬間、目の前が真っ暗になりその場に崩れ落ちた。いつもとホンの少し頭の当たる角度が違ったために、その衝撃で脊椎が傷ついてしまったのだ。

 この場所、清國の相撲はちょっぴり強引だった。前の場所の優勝で自信が膨らみ、多少ムダな動きをしても勝てたのである。この強引さは心に芽生えたおごりの表れ。これが清國の相撲を狂わせ、思いがけない“自滅”の原因となったのだった。

 落とし穴は意外にも絶頂期にすぐ足元に。清國は、真っ暗闇の中で自分の奥で勢いよく燃え盛っていた炎が急激に小さくなっていくのを感じていた。

「油断大敵。人間は調子のいいときほど自分を戒めなくちゃいけないということでしょう。そうせず、タコ(天狗)になっていた天罰です。でも、優勝した次の場所に休場なんてかっこ悪くてできません。トレーナーを雇い、その治療を受けながら必死に千秋楽まで務めましたけど、結局、9勝止まり。自分にとっては、あれが最初で最後の綱取りになってしまいました」

 と伊勢ケ濱親方は苦笑いする。

 まさに、後悔先に立たず、である。

 大関昇進2場所目に致命傷を負ったにもかかわらず、それから26場所も頑張った。(終。次回からは大関・大麒麟将能編です)

PROFILE
清國勝雄◎本名・佐藤忠雄。昭和16年11月20日、秋田県湯沢市出身。荒磯→伊勢ケ濱部屋。182cm134kg。昭和31年秋場所、若い國で初土俵。37年初場所梅ノ里、同年夏場所清國に改名。38年夏場所、新十両。同年九州場所新入幕。最高位大関。幕内通算62場所、506勝384敗31休。優勝1回、殊勲賞3回、技能賞4回。49年初場所に引退し、年寄楯山を襲名。52年、伊勢ケ濱部屋を継承し、幕内若瀬川らを育てた。平成18年11月、若藤に名跡交換後、停年退職。

『VANVAN相撲界』平成7年4月号掲載

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