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2020-02-11

【私の“奇跡の一枚” 連載55】 未完に終わった怪物 “クッシ―”久島海関の真実

私は元出羽海部屋の力士で、23年間のチョンマゲ生活を経て、平成26(2014)年1月場所を限りに引退、現在東京の浅草ビューホテルのすぐそばでカラオケ店「あきんど」を営ませていただいている。

※写真上=久しぶりにアルコールが入ってご機嫌の久島海関。まだ幼い!?付け人の私の顔をお茶目につねって大騒ぎ。どんなことがあってもこの人についていくんだと思い始めたころの幸せな一瞬である
写真:月刊相撲

 長い人生には、誰にもエポックメーキングな瞬間があり、それはたいてい鮮やかな一シーンとなって人々の脳裏に刻まれている。
 相撲ファンにも必ず、自分の人生に大きな感動と勇気を与えてくれた飛び切りの「一枚」というものがある――。
 本企画では、写真や絵、書に限らず雑誌の表紙、ポスターに至るまで、各界の幅広い層の方々に、自身の心の支え、転機となった相撲にまつわる奇跡的な「一枚」をご披露いただく。
※月刊『相撲』に連載中の「私の“奇跡の一枚”」を一部編集。平成24年3月号掲載の第2回から、毎週火曜日に公開します。 

地位を超えた付き合い

 それなりに社会に出て、つくづく思うのは相撲界から受けた恩の大きさである。特に相撲界ならではの付き合いの広さと深さ。

 子どものころから体が大きかった私は、平成3年5月元横綱佐田の山の出羽海部屋に入門した。そして一進一退を繰り返しながら12年をかけて幕下にも進み、それなりに稽古もしたが、その後の成績もはかばかしくなく、いつしか私は、関取昇進においていた自分の目標を、社会に出るための人間勉強に切り替えようと思い立った。

 地位は三段目・序二段ながら、ベテランならではの時間や気持ちの余裕をフルに使って、それなりの人脈を、広げられるだけ広げてみたいと考えたのだ。

 そこで私は、相撲教習所の指導助手を志願したのを手始めに、自分の自由時間は部屋を超えての挨拶、さまざまな人たちと気さくな会話ができるような機会を数多く持つように努めた。そうしているうちに個人的なお付き合いも生まれ、雑事のお手伝いなどを重ねるようになった。各部屋、一門、職種ならではの考え方も理解できるようになり、片や関取衆、こなた若い者の関係でも、お互いに知恵も友情も自然と出し合えるようになった。

人間・田子ノ浦親方

 私が長く付け人をさせていただいた久島海関〈田子ノ浦親方)もそういう企画を喜んでくれた一人だった。少年時代から怪物“クッシ―”と呼ばれ、高校のときいきなり史上初の1年生高校横綱となってそのまま3連覇、さらにアマ横綱に輝き、日大に進んでからは1年から3年まで連続学生横綱を手にした。そんな輝かしい経歴を引っ提げて角界入りしたスーパースターだったが、その実は常識人で、実に人間味にあふれる人だった。

 だが、久島海関はそのアマ時代のあまりにも輝かしい実績ゆえに、好むと好まざるにかかわらず、プロを自負するほかの力士たちの絶好の攻撃目標となってしまった。ファンの立場から大げさにいうと、協会全員を敵に回し、完全アウェイの中で孤独の戦いを余儀なくされた感じだったと思う。

 久島海関は私の10歳年上で、格も段違いだったが、自分の苦しみには一人耐えながら、力士、人間として我々を大きな見地から教育してくれるばかりでなく、時には若い者と同じ目線から真剣に向き合い、私の親にまで気を使ってくれるような心の熱い人だった。頭脳も明晰で、いつも部屋のこと、協会のこと、大相撲の将来のことまで真剣に深く考えていた。私も最初のうちはよく反発したものだが、いつしか深く傾倒するようになった。

 超注目力士だったがゆえに、たびたびのケガに見舞われ(あの痛恨の張り手にも…)、番付運にも恵まれなかった関取だが、決して腐ることなく努力する姿がいつもそこにはあった。たとえば、人によっては物見遊山の巡業中でも、無理を押しても時間を作り、各地でスポーツジムなど探しては、復帰のために努力していた姿は今も私は忘れない。

 親方は、部屋を持ってからも勉強怠らず、「相撲競技の秘密をようやくつかんだ気がする。これから碧山たちをしっかり仕込んでいくんだ」と、にっこり笑って話してくれたことがあった。私も本当にうれしかった。ところが、それから程ない平成24年2月13日、親方は突然46歳の若さで急逝してしまった。小学生時代からクッシ―に憧れた続けた付け人の悔しさを、相撲ファンの皆さんにはよく分かっていただけると思う。

 現在、人気絶頂の印象がある日本相撲協会だが、この親方が生きてくれていたら、さらに盤石なものになっていたに違いないと私は信じている。

語り部=丹野史裕(元幕下・伊達錦、出羽海部屋。久島海付け人)

月刊『相撲』平成28年7月号掲載

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