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2026-07-07

【連載 泣き笑いどすこい劇場】第39回「一夜が明けて」その4

平成23年九州場所後、大関昇進の伝達式で口上を述べる稀勢の里。傍らで場所前に亡くなったばかりの師匠の遺影が見守った

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本当の喜びや悲しみは、ちょっぴり遅れてやってくるものです。
たとえば優勝力士の優勝を決めた直後の表情は、まだ激闘の余韻をそこかしこに漂わせ、口をついて出る言葉にも力みがみえますが、それから一夜明けた表情にはようやく肩の力が抜け、心からの喜びにあふれます。
平成25年九州場所、5場所ぶりに優勝した日馬富士の千秋楽翌日の顔も、一転しておだやかで、「きのうは久しぶりにおいしいお酒を飲んだ。やっぱり酒はおいしいね」と声がはずんでいました。
そんなさまざまなことがあった力士たちの“一夜明けの顔”のエピソードです。
※月刊『相撲』平成22年11月号から連載された「泣き笑いどすこい劇場」を一部編集。毎週火曜日に公開します。

師匠失っても稽古

稀勢の里(現二所ノ関親方)の師匠、先々代鳴戸親方(元横綱隆の里)が急性呼吸不全のために福岡市内の病院で急逝したのは平成23(2011)年11月8日のこと。59歳だった。九州場所初日のわずか5日前のことで、息を引き取った時間は午前9時51分。そのとき、稀勢の里ら、弟子たちはいつものとおり、稽古場で汗を流していた。このことからも、いかに突然のことだったか、分かる。

“大関取り”に挑んでいた稀勢の里のショックも大変なもの。遺体を葬儀会場の千葉県松戸市の部屋に移すため、その夜、あわただしく福岡市内で開かれたお別れの会のあと、報道陣に取り囲まれて亡き師匠の思い出を聞かれると、「そうっすね」と言ったきり、あとの言葉が続かず、ただ涙を流し続けた。

悲しみの一夜が開けた翌朝、鳴戸部屋では力士たちが廻しを締めて土俵に降り、いつもどおりに稽古が行われた。数日前までに先代鳴戸が厳しい顔で座っていた正面の席はポッカリと穴が開いたように空席だったが、稀勢の里も午前8時前には稽古場に現れ、四股やスクワットなどで入念に体をほぐしたあと、髙安や隆の山らと19番取っている。この日の成績は17勝2敗だった。

稽古終了後も稀勢の里は口を真一文字に結んだままだったが、弟子たちを代表するかたちで最年長の若の里(現西岩親方)がこの朝稽古について、

「場所の直前から、(弟子たちは)相撲をがんばるしかない。それが師匠の一番望んでいることだから」

と語っている。また、この日の緊急理事会で部屋付きの西岩親方(現田子ノ浦、元幕内隆の鶴)が鳴戸を襲名し、部屋を継承することも決まった。大相撲界も、一日たりとも立ち止まることは許されないのだ。

この辛く、耐え難い一夜明けの稽古が実ったのか。九州場所の稀勢の里は3場所連続二ケタ勝ち星となる10勝(5敗)を挙げ、場所後、待望の大関に昇進した。

月刊『相撲』平成26年1月号掲載

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