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2026-06-30

【連載 泣き笑いどすこい劇場】第39回「一夜が明けて」その3

平成22年2月4日、引退会見を行う横綱朝青龍。この夜は、気心の知れた仲間たちと一晩中飲み明かしたという(右は元大関朝潮の高砂親方)

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本当の喜びや悲しみは、ちょっぴり遅れてやってくるものです。
たとえば優勝力士の優勝を決めた直後の表情は、まだ激闘の余韻をそこかしこに漂わせ、口をついて出る言葉にも力みがみえますが、それから一夜明けた表情にはようやく肩の力が抜け、心からの喜びにあふれます。
平成25年九州場所、5場所ぶりに優勝した日馬富士の千秋楽翌日の顔も、一転しておだやかで、「きのうは久しぶりにおいしいお酒を飲んだ。やっぱり酒はおいしいね」と声がはずんでいました。
そんなさまざまなことがあった力士たちの“一夜明けの顔”のエピソードです。
※月刊『相撲』平成22年11月号から連載された「泣き笑いどすこい劇場」を一部編集。毎週火曜日に公開します。

電撃引退で長い夜

同じ横綱でも、平成22(2010)年2月4日に暴行トラブルを引き起こし、詰め腹を切らされるかたちで電撃引退した朝青龍の一夜明けはまったく違った。前日の両国国技館は、この思いもかけない展開で終日、ハチの巣を突いたような大騒ぎ。理事会や記者会見が相次いで開かれ、朝青龍も引退届を出したあと、いったん国技館を離れ、再度戻って引退会見に臨み、

「二度と相撲に戻ることはできませんが、これからの人生も長い。弱冠29歳。どこまでいけるか、楽しみ」

と強気の言葉を残しているが、やはり痛恨の思いだったのは間違いない。

その夜、自宅マンションには、同じモンゴル出身で朝青龍を兄のように慕っていた日馬富士(当時大関)や弟弟子の朝赤龍(当時幕内、現高砂親方)、付け人の男女ノ里や元幕下の旭天山らが駆けつけ、一緒に明け方まで酒を飲んでいたという。こちらは我が生涯で一番の苦い酒だったことが容易に想像できる。

一夜明けた5日、朝青龍は一人、成田空港からハワイに飛び立ち、引退騒動を忘れるように常夏の青空のもとでゴルフ三昧の日々を送った。しかし、そんなことで心にできた隙間を埋められるはずがない。さらにロサンゼルス、ニューヨークに飛び、再び日本に舞い戻ってきたのはその月の24日。それから3日後の朝青龍の公式ブログで、一宮章広マネージャーは、引退した朝青龍がゆずの『栄光の架け橋』を覚えて歌っていることを明かし、「なんか涙が出てきます」と綴った。

月刊『相撲』平成26年1月号掲載

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