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2019-11-26

【私の“奇跡の一枚” 連載44】 “ウルフ”とともに去りぬ…… 大横綱の引退と重なった局アナの出処進退

テレビ朝日で『大相撲ダイジェスト』を担当していた私は、放送、取材を通して常に大相撲から勇気をもらっていた。そんな私の脂の乗り切っていた時代は、千代の富士という大横綱の全盛時代と時を同じくする。

※写真上=後世に長く語り伝えられる千代の富士―貴花田の初対決(平成3年夏場所初日)。大横綱が返り討ちにするはずが、まだまだと思っているうちに新入幕力士に負けた。それはやはり力の衰えだったのか……
写真:月刊相撲

 長い人生には、誰にもエポックメーキングな瞬間があり、それはたいてい鮮やかな一シーンとなって人々の脳裏に刻まれている。
 相撲ファンにも必ず、自分の人生に大きな感動と勇気を与えてくれた飛び切りの「一枚」というものがある――。
 本企画では、写真や絵、書に限らず雑誌の表紙、ポスターに至るまで、各界の幅広い層の方々に、自身の心の支え、転機となった相撲にまつわる奇跡的な「一枚」をご披露いただく。
※月刊『相撲』に連載中の「私の“奇跡の一枚”」を一部編集。平成24年3月号掲載の第2回から、毎週火曜日に公開します。 

『無敵の横綱』と『角界のプリンス2世』の黄金カード

 浅黒く鎧のような筋肉で固めたたくましい体で、炎のような気合とスピードで土俵狭しと暴れ回り相手を一気に土俵外に運び、思いっ切り叩きつける豪快な相撲は、どちらかというと絶叫型の私にとって相性がよく、しゃべっていても気持ちがよかった。まして大ぶりの大銀杏も、塩のまき方も、仕切りの形も実にカッコよかった。

 まさに無敵、横綱在位59場所を誇った千代の富士にも引退の影が徐々に忍び寄ってきていた平成3年夏場所初日、この千代の富士は日本中にブームを巻き起こしつつあった新入幕の貴花田(のち65代横綱貴乃花)の挑戦を受けた。だが本人はもちろん、周囲も、千代の富士が貫禄を見せてまだまだ寄せ付けないだろうと、大方の人が見ていた。

 千代の富士自身が、若貴兄弟の父、元大関貴ノ花からよきアドバイスを受け、それが“ウルフ”開眼につながったというドラマと、日本中の注目を集めた若武者の挑戦が重なり、「夢の対決」は大歓声に包まれた。

「まだそうはいかん!」の意思表明のはずが……

 相撲は35歳の千代の富士が18歳9カ月の力士の当たりを余裕をもって受け止めたように思われた。しかし、稀代の若武者は委細構わず前へ前へ――。

 私はこの日、放送担当ではなく支度部屋で取材を行っていた。敗れて支度部屋に戻ってきた千代の富士の思わぬ行動に私は驚いた。談話を取るべく左側に控えていた私の後ろを通った横綱が、私のお尻をいきなり思いっ切りつねりあげたのだ。よっぽど悔しかったのだろう。来場所の対戦が楽しみだと私は了解した。これが引退につながる黒星とは本人も思っていなかったに違いない。談話も「若いのに精神力があるね、今日は三重丸、いや五重丸だよ」と余裕をもってほめたたえていた。

いまだ果たせぬ『夢のダイジェスト』

 その2日後、私は一身上の都合によって辞表を胸にタクシーでテレビ朝日に向かっていた。そのとき、3日目貴闘力に敗れた千代の富士が引退を決意したことを知った。ラジオから「体力の限界、気力もなくなり……」と絞り出すような声が聞こえてきたのだった。

 平成3年5月14日、この日のことを私は一生忘れない。その魅力を知りつくし、現役時代から飾りないお付き合いをさせてもらった元横綱千代の富士を解説者に迎えてダイジェストを放送、新たな時代を開くのが自分の一番の夢だったことに、2日前のお尻の痛さとともにあらためて気が付いたのもその時だった。

語り部=銅谷志朗(元テレビ朝日『大相撲ダイジェスト』アナウンサー)

月刊『相撲』平成27年8月号掲載

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