私の父は大変な相撲好きで、誰がひいきかといえば、どこで見初めたか、力士よりも22代木村庄之助(本名泉林八。のちに『泉の親方』と呼ばれ、104歳の長寿を得た)の熱烈なファンだった。大相撲を見るたび、語るたびに、その裁き、口上、土俵上の姿、動きのすべてにため息を漏らすほど惚れ込んでいた。
※写真上=昭和17年1月場所、双葉山(左)-前田山戦を裁く22代庄之助(当時18代式守伊之助)。背筋をピンと伸ばし眼光鋭く両者の取組を見守る姿はいかにも爽やかで、凛としているではないか
写真:月刊相撲
長い人生には、誰にもエポックメーキングな瞬間があり、それはたいてい鮮やかな一シーンとなって人々の脳裏に刻まれている。
相撲ファンにも必ず、自分の人生に大きな感動と勇気を与えてくれた飛び切りの「一枚」というものがある――。
本企画では、写真や絵、書に限らず雑誌の表紙、ポスターに至るまで、各界の幅広い層の方々に、自身の心の支え、転機となった相撲にまつわる奇跡的な「一枚」をご披露いただく。
※月刊『相撲』に連載中の「私の“奇跡の一枚”」を一部編集。平成24年3月号掲載の第2回から、毎週火曜日に公開します。
今でも鮮やかに覚えているのは、千代の山・増位山一行が、我が佐賀県は神埼町(現神埼市)に巡業にやってきたとき、忙しかったこともあるのだろうが、「俺は伊之助(当時)の行司だけ見ればいいんだ」と中座して、取組の終わりごろにやってきて、その結びの一番の口上を上げる姿にじっと聞き入っていた姿である。
父の傾倒ぶりは、この庄之助の弟子になれるという話を聞き込んだ途端に、神埼町の高校に通っていた(そしてさほど相撲好きでもなかった)息子の私を、有無を言わせず退学させ、親方の元に送り込んだということだけでも分かっていただけよう。
そんなわけで昭和30年(1955)、何もわからないまま22代木村庄之助親方の弟子となった私の行司人生は、すなわち父が感じた親方の魅力を、子の私が再確認する旅となる。
昔は、溜り小使いといって、立行司の付け人が向正面の溜りに控える制度があったので、若い行司は上位を裁く親方の姿と数々の名勝負を間近で見ることができた(これが後々まで勉強になった)。
親方の行司としての素晴らしさを述べればきりがなく、身近に受けた教えもまたきりがない。その声はまことに朗々としていて、私も土俵下で毎日の結びの触れを聞くのが本当に楽しみだった。
親方はとにかく冷静に相撲を見ていた。土俵際で勝負を見極めるときにはいち早く軍配を腿の上に立て、しゃがんで見極めた。その姿のかっこ良さといったらなかった。
親方はよく言っていた。「行司はただノコッタ、ノコッタと叫んでいるようじゃだめだ。自分も相撲を取っているつもりで裁かなくてはいけない」と。絶えず土俵の円の中にいて見やすい位置で見ろ。逃げるときは俵を伝って逃げろ」。その言葉は具体的で理に適うことばかりだった。
そして何より大きかったのは、実地で学んでいけ、行司は上に上がれば上がるほど間違いは許されない、常に自分の一段上のことをやるように努めよ、といった行司心得の部分である。たとえば立行司になってから立行司にふさわしい行動をしようと思うようでは遅いということなのだ。
きっかけこそ父のゴリ押しではあったが、稀代の名行司の弟子として身近に多くを学び、半世紀にわたる充実した行司人生を歩めたことを、今は深く感謝している。
そこで、泉の親方に関する思いを象徴する「私の一枚」としては、父の熱い思いとも併せて、大横綱双葉山が君臨していた戦前、伊之助として裁いていた師匠の行司姿を挙げさせていただきたいと思う。
月刊『相撲』平成24年9月号掲載
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