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2026-10-06

延髄斬りの写真が物語るアントニオ猪木“闘いの信条”「後ろから撮っても顔が見える」【週刊プロレス】

海賊男の乱入で暴動が起こった一戦で放たれた延髄斬り。原悦男カメラマンが最も気に入っている延髄斬りショットでもある。1987年3月26日、大阪城ホール、マサ斎藤戦(撮影/原悦生)

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キャリアを重ねるとともにアントニオ猪木の必殺技は変わっていった。日本プロレス時代はコブラツイスト、大一番限定で繰り出すジャーマン・スープレックスや卍固め、モハメド・アリ戦を経て開発した延髄斬り、そして一瞬にして相手を絞め落とすスリーパーホールド。いずれも印象的なショットが残されているが、半世紀以上にわたって猪木を撮り続けてきた原悦生カメラマンは、さまざまな角度から一つの技を狙っていた。なかでも“格闘芸術”にまで昇華させたのが延髄斬りだという。(文中敬称略)



アントニオドライバー、コブラツイスト、ジャーマン・スープレックス、卍固め、弓矢固め、バックドロップ、延髄斬り、魔性のスリーパー……これはアントニオ猪木が好んで使用してきた必殺技の変遷である。そのなかでもフィニッシュ技として最も多用されたのは延髄斬りではなかったろうか。

アントニオドライバーは自身への負担もあって早々に封印。その後、日本プロレス復帰とともにコブラツイストが定番となった。それでも新技には意欲的だった猪木は、発展技として卍固めを開発した一方で、師であるカール・ゴッチから伝授されたジャーマン・スープレックスを習得。ただ、いずれも大一番で使用するプレミアム感が強い技でもあった。

“世紀の凡戦”と酷評されたモハメド・アリ戦を終えた猪木は、再戦に向けて動いていた。15ラウンド闘い抜いた一戦ではスライディングしながら相手の足を狙って放ち続けた蹴りで苦しめた。それをスタンドから放っていったのがアリキック。さらに一撃必殺に昇華させるべく開発されたのが延髄斬り。70年代後半から80年代に入ると、フィニッシュ技として多用していった。
 
コブラツイストや卍固めでは技を決めると見得を切るように締め上げていった。バックドロップやブレーンバスターでは大きく弧を描いて投げるため、見栄えがする技だった。パンチも弓を引くような構えから放ち、表情とともに感情が伝わってきた。

単に相手を倒すだけでなく、いかに美しく、また迫力、感情が伝わるよう意識して闘う。猪木の闘いに対する姿勢が、一つの技を“格闘芸術”の域にまで押し上げていった。

9月26日に大阪市内で開催された原悦生カメラマンを迎えたトークショーでは、必殺技として延髄斬りがフィーチャーされた。そのなかで異なる角度から撮影されたなかから厳選された8枚が公開された。

共通するのは猪木の顔が後頭部を打ち抜いている自身のつま先より下にないことと、相手の顔から視線を外していないこと。上半身が立っていて“くの字”になっている。そしていずれも猪木の顔が見えていること。これは単に撮影者のポジショニングがよかっただけでなく、「後ろから撮っても顔が見えている」(原カメラマン)。

天龍源一郎をはじめ、延髄斬りを得意技として使用するレスラーは多かった。いや、今でも多い。相手に片足をキャッチさせてから放つなどバリエーションも豊富になっている。しかし、猪木ほど絵になる一撃はない。だからこそ、長年にわたってあれだけ多くのファンの心を奮わせてきたのだろう。

引退後、小川直也をエースに旗揚げした新団体UFOには、“燃える闘魂”のプロレスに対する信条、「ファイティング・アーツ」が込められていた。

ちなみに数多くの延髄斬りの写真の中で、原カメラマンが最もお気に入りなのが、ここに紹介した「INOKI闘魂LIVE Part2」におけるマサ斎藤戦で放った一枚である。

橋爪哲也

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