果たしてオレは、この大相撲の世界で大成できるのか――。
周りのライバルたちとはもちろん、自分の心の中に渦巻く不安との闘い。そんな苦しい手探りの中で、「よし、これだっ。こうやったら、オレはこの世界で食っていけるぞ」と確かな手応えを感じ取り、目の前が大きく開ける思いがする一瞬があるはずです。
一体力士たちは、どうやって暗闇の中で、そのメシのタネを拾ったのか。これは、光を放った名力士たちの物語です。
※平成4~7年『VANVAN相撲界』連載「開眼!! 相撲における[天才]と[閃き]の研究」を一部編集。毎週金曜日に公開します。
こんな馬鹿なことってあるか。ガーン、と思いっきり頭をブン殴られたような衝撃の中で、もう一度、受話器にすがりつくようにして、
「本当ですか」
と聞き直した。うそであって欲しかった。しかし、ちょっぴりなつかしい津軽なまりがする女性交換手の声は、あくまでも事務的だった。
「本当です。高谷市智男(いちお)さんは、5日前に亡くなられた、もうこちらの病院にはいらっしゃいませんよ」
おやじが死んだ。それもオレの知らないうちに。もういまから帰っても、とっくに葬式は終わってしまっている。胸は、悲しみと怒りでカーっと熱くなり、実家の電話番号を回す手は、まるでスローモーションの映画を見ているようにまどろっこしかった。
「カチッ」
と、受話器をとった音で、反射的に母だとわかった。
「おふくろ、オレだ、俊英だ。いま、病院さ、電話して聞いたんだけど、おやじが死んじゃったというでねえか。どうしてオレには教えてくれなかったんだ。死に顔も見せさせない、というのはあんまりだ。ヒドいぞ」
電話の向こうで、夫に先立たれてすっかり打ちひしがれた母が小さく息を飲む声がした。
「あれっ、お前は、まだ親方から何も聞いていないのかい。お父(と)うは、死ぬ直前までお前のことを心配していたんだもの、真っ先に部屋に電話を入れただ。でも、親方が『いまは大事な場所中ですので、そちらに帰すワケにはまいりません。場所が終わったら、本人には私からちゃんといって聞かせますから、どうかご容赦ください』というので、相撲の世界は親の死に目にも会えない厳しいところなんだ、仕方ねえ、と思って、それ以上のことは差し控え、葬式もなにもかもお前抜きで済ませたんだ。お前も知っての通り、お父うは、満州で捕虜になったときの無理がたたって、随分、心臓が悪くなっていたからなあ。それにしても、いきなり病院で、死んだ、と聞かされたんじゃ、さぞかしビックリしたろう。悪かったなあ」
隆の里(当時の四股名は高谷。昭和46年〈1974〉春場所に隆ノ里、54年名古屋場所、隆の里に改名した。ここでは便宜上、隆の里で通す)は、母の涙声を聞いているうちに、師匠の二子山親方(初代横綱若乃花)の口癖の、
「この世界ではな、相撲と書いて、しんぼうする、がまんする、と読むんだ」
という意味が初めてよく分かったような気がし、こんな非情な世界にいる自分がうらめしかった。
しかし、だからといって逃げ出そうとは少しも思わなかった。そんなことをすれば、途中で逃げ出すことをなによりも嫌った父が一番悲しむ。
胸が張り裂ける思いでようやく母との電話を切った隆の里は、部屋に帰ると、大事にしまっておいた父からの手紙を取り出し、一通一通、丁寧に読み返し始めた。
最近来た手紙には、
「辛くなったら、いつでも帰ってこい。オレも、お母さんも、みんな待っているぞ」
と、いつもの父らしくない優しい言葉が書き連ねてあった。入門する前、柔道をやっていた隆の里はアキレス腱を痛め、しょっちゅうギプスのやっかいになっていた。大相撲界に入ってからも、時々、その足首の痛みが頭をのぞかせて隆の里を苦しめた。父はそのことを知っており、自分が病気で気弱になっているときだっただけに、息子が前途をはかなんで妙なことになっては、と取り越し苦労をしたのだった。
しかし、隆の里はこの手紙を読んで、
「おやじは、オレの気性を知っていやがるな」
と思った。小さいころから隆の里はプライドの高い子どもだった。
こんなことがあった。隆の里の住んでいた青森県の浪岡町に、当時の人気歌手・こまどり姉妹がやってきたことがあった。1回目と2回目の公演の間の短い休憩時間、この姉妹が雪のグラウンドで二人だけで遊び、それを町の人が丸く取り囲んでじっと物珍しそうに見ていた。
しばらくして、その見物人の中からひとり、若い男が姉妹に近づいて、
「すみません、握手してください」
と右手を差し出した。すると、それまで固唾を飲んで見守っていた町の人々が堰を切ったように歓声をあげて二人に駆け寄り、我先に握手を求めだした。
まだ少年だった隆の里も、その輪の中に加わって握手をしようと思ったが、足が凍りついたように張り付いて、動かなかった。
「いいかい、俊英、お前が行儀の悪いことをすると、お父うや、私や、親戚の者みんなが笑われ、恥ずかしい思いをするんだぞ。分かったな」
と怖い顔で話す母の声がよみがえってきたからだ。
素直にこまどり姉妹に握手を求められない自分が腹立たしかった。と同時にまた、ひとりだけ、元の位置から一歩も動かず、俄然と人気歌手のまわりでキャー、キャー騒いでいるみんなを見下ろしている自分が誇らしかった。小さいときから、隆の里はそういう子どもだったのだ。
いくら父が、
「辛かったら、家に帰って来い」
と言っても、自分の息子が、
「ハイ、それではお言葉に甘えて帰ります」
としっぽを巻いて帰る性格ではないことを、父は知っているはずだった。
隆の里には、このことばの裏に、
「いいかい、どんな長いトンネルでも、出口のないトンネルはないんだ。辛抱しろよ」
ということばが張り付いているのが見えた。
「分かったよ。おやじ。オレは頑張るよ。うんと頑張って、早く一人前の関取になって墓参りに帰るから、それまで待っていてくれや」
隆の里はなつかしいおやじの手紙を思わず胸に抱きしめると、小声でつぶやいた。(続く)
PROFILE
たかのさと・としひで◎本名・高谷俊英。昭和27年(1952)9月29日生まれ。青森県青森市浪岡出身。二子山部屋。182㎝159㎏。昭和43年名古屋場所初土俵、49年九州場所新十両、50年夏場所新入幕。大関時代の57年秋場所、全勝で初優勝。58年名古屋場所後、横綱昇進。幕内通算58場所、464勝313敗80休。優勝4回、殊勲賞2回、敢闘賞5回。61初場所2日目、引退。千葉県松戸市に鳴戸部屋を創設し、。横綱稀勢の里、大関髙安、関脇若の里、隆乃若を育てた。平成23年(2011)11月7日死去、59歳。
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