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2018-03-13

【連載●世界の事例から学ぶ!】 Swimming Global Watch 第6回 ~コーチのリーダーシップを考える~ エディー・リースの申し子、 あのブレンダン・ハンセンのインタビューを掲載!

 今回紹介するのは、あのブレンダン・ハンセンである。ハンセンといえば、北島康介と数々のレースで戦い、名勝負を演じてきただけに、覚えている読者も多いことだろう。そして彼は、前回紹介したエディー・リース(テキサス大)のコーチングを、長期間にわたって受けた申し子の一人で、そのハンセンはいま、テキサス州オースチンで、ジュニアスイマーの競泳コーチとして敏腕を振るっている。

 世界のトップ選手から競泳コーチを目指し、成功したケースというのは意外に少ない。ハンセンは若手コーチとして何を思い、過去の競技歴をどのように自己のコーチングに活かそうとしているのか。

 筆者は、昨年テキサス州・オースチンにいるハンセンに直接電話し、取材した際に得た情報(「スイミング・マガジン」本誌2017年3月号に記事を掲載)、また米国の競泳専門誌「Swimming World」2018年2月号で、コーチとしてのハンセンのインタビューを行なっているため、同誌の同意を得て、今回、その記事の翻訳を紹介する。

 ブレンダン・ハンセンの描く、コーチングの新しいリーダーシップスタイルとは――。

※以下のインタビューは「SWIMMING WORLD」2月号より引用

★失敗は成功の糧

――あなたはジュニア時代には、競泳だけでなく、さまざまなスポーツをバランスよくやってきました。ジュニア時代の選手育成のあり方として、さまざまなスポーツを組み合わせる手法を取り入れていますか?

ハンセン 自分を振り返れば、成長期にいろいろなスポーツができた体験は必要だったし、良かったと思う。自分で言うのも何だが、活発な少年だったし、最近多く見られるように家でゲームにふける、なんてことはなかった。雪が降る日でさえ、よく外で元気に遊んでいた。「エネルギーの適正な発散」と、親はポジティブに見てくれていた。周囲から、より良い競技成績を求められたり、勝つことを要求されることはなかった。身体を動かすことを喜ぶ自分を、長期的な視野で見てくれていたようだ。

――長きにわたりコーチングを受けたテキサス大コーチのエディー・リースは、人生においてどのような影響を与えていますか?

ハンセン エディーを語るためには、すごく時間が必要になる。今でも彼のコーチとしての影響を受け続けていると言いたい。一言でまとめれば、大げさだが、彼から学んだことを、一生背負いながら生きている感じだ。それだけ大きな影響を受けたし、いまでも一緒にいる時間を常に大切にしている。

――コーチとして、エディー・リース氏以外のロールモデル(目標となるようなコーチ)はいますか?

ハンセン クリス・キュービック(長期にわたりエディー・リースを支えたアシスタント的コーチ)だろう。選手時代、目標達成に向けて、常に見守ってくれたのが彼だった。もちろん、両親もロールモデルだ。両親がコーチを信頼していた、という観点も非常に大事だ。エディーもクリスも、自分にとって「レジェンド」(伝説)ではない、コーチとしてのアイコン(象徴)だ。レジェンドとアイコンでは、少し意味が異なる。

――あなたの母親は、あなたをトレーニングに対してきちっとした考え方を持った活力のある子供だった、と表現しています。

ハンセン その通り! 健康的で安定した生活と、選手としての目標達成は別物ではなく、常にバランスがとれているのが理想だ。2004年アテネ五輪では、100、200m平泳ぎで金メダル候補だった。結果としては、銀メダルと銅メダルに終わった。その悔しさから、その後、2008年北京五輪に向けて、さらにトレーニングを頑張るようにはなった。しかし、今振り返れば、自分のアプローチは少しバランスに欠けていた。それが最終的なパフォーマンスの悪さにつながったと感じる。自分は、レースへの準備やトレーニングをハードに行なうという点については得意としていたが、精神面でも十分な準備ができていたかというと、疑問がある。今思うのは、どんなにフィジカルの準備ができていたとしても、メンタルが同じレベルでついてこなければ、望む結果は得られないということだ。

――成功から学ぶよりも、失敗から学ぶことのほうが多い?

ハンセン そうだ。課題から逃げずに、日々格闘しなければいけない。最終的には、「失敗は成功の糧」という言葉を信じる。そこからスタートして成長が起こる。少なくとも、そのように自分がいま思考できていること自体、大きな収穫だ。

――アテネ五輪で北島選手のターン時のドルフィンキックが問題になったこともあった。

ハンセン そのことについては、あくまで彼のレースであり、自分のレースではないということだ。人生を長期的な視点で見れば、あのレースで金メダルだったか、銀メダルだったか、という問題は、自分の人生に影響を及ぼしていない。米国チームを代表し、自分としてはあの時点では最大限の力を出し切った、ということだ。

――あなたは、国際大会で25個ものメダルを獲得し、9度も米国代表のキャプテンを務めてもいる。最も精神的に満足のいくレースをあげるとすれば?

ハンセン 2012年ロンドン五輪100m平泳ぎ決勝で、8コースから銅メダルを獲得したレースだろう。ロンドン前、引退していた自分が、レースに復帰するのは時間の無駄で、自分の宣伝だろう、などと揶揄されたりもしていた。実際のレースでは、「勝てないかもしれない。だけど、ブレンダン・ハンセンという選手が勝負してきた」という足跡を残しておきたいと思った。自己ベストではなかったが、あのレースは思い出が深い。

2012年のロンドン五輪100m平泳ぎで銅メダルを獲得したハンセン(右)。現役時代では、このレースが最も思い出深いレースだったという
写真:Getty Images

★トップ選手からコーチへの移行の難しさ

――オリンピック選手から競泳コーチへのキャリアチェンジは難しかった?

ハンセン とても難しかった。当初は、ジュニアスイマーに、とても多くの自分の経験を伝えることができるだろうと踏んでいた。難しかったのは、一人ひとりの選手がどのようなプロセスを踏んで、今、そこにいるのか、ということを深く理解することだった。トップ選手として一緒に過ごしていたチームと、自分がコーチングするジュニアチームを比較して混同してしまっていた。これは大きな失敗だった。いま、最もうれしいのは、自分の教える多くの高校生スイマーが、素晴らしい大学に進学し、そこでまた競泳を続け、進化し続けるのを見守ることだ。

――あなたがコーチを務めるオースチン・スイムクラブは、たった67人の会員から、いまでは350名にまで会員数が増加した。ブレンダン・ハンセンの名前が会員増につながった?

ハンセン 会員増はさまざまな理由が重なり合っての結果。自分ではなく、スタッフ全員の努力だと思う。何が正しいアクションかをスタッフ全員で一致させ、それを実行する。失敗もあるけれど、そこからまた努力する。「アスリート・ファースト」の精神でクラブ運営をしている。

――あなたは選手たちに「しっかりとしたプロセスがなければ成功はない」と話している。競泳におけるテクニックや、必要な忍耐について、ジュニアスイマーにどのようにコーチングしている?

ハンセン 毎回の練習、レース一つひとつ、チームメイトとのコミュニケーションのすべてが「学ぶ機会」で、お互いに学ぶことで伸びるんだ、と教えている。学ぶのをやめないこと、進化する大切さを学ぶことに注力している。これはすごく難しい。まったく思ったようにいかず、自分がフラストレーションでつぶれそうになることもある。

――ジュニアスイマーにどのように快適ゾーンから出て、新しい世界に飛び出さなければいけないということを教えている?

ハンセン どのような創造的なトレーニングセットを組むか――。これが大事だと思う。創造的なトレーニングセットは、選手に「快適ゾーンからの脱出」を促す機会を与える。まずは選手たちに、その機会を与えなければならない。自分自身もプールサイドに立っているときには、できる限り、エネルギーのある動きを見せる。コーチが見せる一生懸命さと、選手がハードにトレーニングするのは、もちろん同じではない。しかし、選手は、コーチが一生懸命にやっている姿を感覚的につかむもので、それを見るのはすごく楽しい。

翻訳・構成◎望月秀記

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