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2017-11-23

●コーチ、競泳マニア必読連載 歴代トップスイマー比較考察 第2回:男子平泳ぎ 北島康介(日本/2000~10年代)×M・バローマン(米国/1980~90年代)

歴史に名を残したスイマーを時空を超えてピックアップし比較する連載。第2回は、われらが北島康介と10年近く世界記録保持者として君臨したマイク・バローマンです。

北島康介(Kosuke Kitajima)●1982年9月22日生まれ、東京都出身。2000年シドニー五輪100m4位、2004年アテネ五輪、08年北京五輪では平泳ぎで2冠連覇を達成。2002年アジア大会でバローマンが11年間保持していた200m平泳ぎの世界記録を更新したのを皮切りに200mでは3回、100mでは2回、世界記録を更新している。
写真:Getty Images

マイク・バローマン(Mike Barrowman)●1968年12月4日、パラグアイ生まれ、米国育ち。1988年ソウル五輪では200m平泳ぎ4位、92年バルセロナ五輪同種目では、世界記録で優勝を飾った。計6回の世界記録更新とともに、“ウェーブ泳法”を実践した先駆的スイマーとして知られている。
写真:Getty Images

 北島康介とマイク・バローマン。意外と年代的には近いのでは? と思う方も多いかと思いますが、バローマンが最初に世界新を出したのは1989年の全米選手権。ニック・ギリンガム(英国)が持っていた記録に並ぶタイ記録(2分12秒90)でした。その直後に来日したパンパシフィック選手権東京大会では、日本代表選手だった私の眼前で(笑)、その記録を0秒01更新しました。

 その後、自身6回目の世界記録更新でバルセロナ五輪を制したのが1992年(2分10秒16)。北島は当時まだ10歳ですから、歴代世界記録更新リストでは直近にいる2人とは言え、意外にも直接対決はなかったのです。

ラップごとに見る2人の相違点

 まず、バローマンが最後に世界新を出したバルセロナ五輪でのレースと、北島が人類初の2分10秒を突破した2002年釜山アジア大会のレースの、ラップタイムの変化を比べてみます(図1)。明らかに後半の100mのペースが違いますね。スピードを活かした前半型の北島に対して、バローマンの後半がいかに強かったかが、容易にわかるかと思います。

図1 バローマンと北島の各区間ラップタイムの変化
(横軸は1=50m、2=100m、3=150m、4=200mの各地点)

 同様に、各50m区間のストローク数を比べてみると、バローマンは少しずつ、かつ規則的にストローク数が増えているのに対し、北島はラスト50mで急激に増える感じです(図2)。

図2 バローマンと北島の各区間ストローク数の変化
(横軸は1=50m、2=100m、3=150m、4=200mの各地点)

 実は、1987年末のルール改正で、それまで「常に身体の一部が水面上に出ていること(要旨)」とされていた平泳ぎは、「1ストロークサイクル中に、1度は身体の一部が水面上に出てこなければならない(要旨)」に変わりました。それまで、頭をずっと水面上に出しながら泳いでいた泳ぎが、「息継ぎ以外の時間は水没可能」となったのです。バローマンのコーチだったハンガリー人のジョセフ・ナギーは、いち早くこのルールを活かすべく、頭の上下動のウエーブ・モーションを利した「ウエーブ・ストローク」という理論を打ち立て、ハンガリーの選手強化を行い、成功を収めた後、米国へ渡り、バローマンが最初の弟子となったわけです。

 しかし、この当時はまだ以前のルールの泳ぎをしていた選手もいて、バローマンも頭を低く沈めるものの、背中や腰は水面上に出ているような感じでしたので、造波抵抗はあまり軽減されていません。

 北島は、このルール改正のときはまだ小学生。その頃から、グライド時に身体を水中に沈める技術を指導されてきました。キックの推進力が高く、肩関節伸展の柔軟性が乏しかった北島。しかし、水中でグライド姿勢の際に目一杯肩を伸ばさせると、肩関節が過伸展せず、減速が小さい奇麗なストリームラインが取れることに、平井伯昌コーチは気づいたようです。膝を壊さないようなキックの強化プラス、このグライド姿勢を洗練するために、レース時のストローク数を基準にして、泳ぎを磨き始めました。ですから、自然と造波抵抗の小さい身体位置(深さ)を体得し、ストローク数が少なくても速く泳げるようになっていったわけです。

2人の接点となったウェーブ泳法

 ナギー理論でも触れられている避抵抗技術は、頭部のウェーブ・モーションだけではありません。息継ぎ時の頭〜膝までの線をできるだけ直線に近くすることで、脚の引きつけの際にモモで水抵抗を受けないようにするところも特徴です。バローマンのこの瞬間の股関節角度は比較的大きいのですが、それでも踵はお尻の位置までしっかり引いて、足裏をきちんと真後ろに向けられるほど、膝が柔らかかったのです。恐らく北島もそのように試みましたが、そうすると膝の腱に負担をかけ、かつ蹴り出しで臀部がうまく動員できないので、強いキックが打てなくなります。そこで、膝引きでの水抵抗を、許される範囲で受けながら、臀部と大腿部の力を強く使い、より高い推進力のキックを打つようにしたのです。平井コーチはナギー理論をそのまま使うのではなく、それをベースにしつつ、北島の良さを引き出すための「折衷案」を考え、実践したということでしょう。

北島のプルは、バローマンのような「ゆっくり〜速く」の加速はなく、グライドで伸びを取って間を置いてから、一気に高速でかき始めていた。最初の世界記録の2月前に肘を痛めたのは、高速でかいたとき、手の水を逃さないために、かなり前腕の筋に負担をかけていたと考えられる
写真:Getty Images

 実は、「ウェーブ・ストローク」の理論は、89年にナギー氏の手でVTRに収録されており、平井コーチも早期に入手したVHSテープを何度も観察していました。また、南カリフォルニア大(USC)のデイヴ・サロコーチが「The Swim Coaching Bible」で、この「ウェーブ・ストローク」を、近代の平泳ぎの技術構築に大きな影響をもたらした理論であると、書いています。バローマンがナギーの弟子としてその理論を世に知らしめた功労者だとすれば、北島はその理論を応用して頂点に立った「世界で最初の事例」。いつまでも2人の劇泳は、語り継いで行かれることでしょう。

文◎野口智博(日本大文理学部教授)

バローマンのプルは、最初のスカーリングから内側にかき込むスカーリングへと手の加速性を高め、徐々にピッチを上げることで、後半のペースを作っていた
写真:Getty Images

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