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2020-02-14

【陸上コラム】「厚底シューズ論争」は決着ではなく、「中間点」

「厚底シューズ」論争に、ひとつの区切りがついた。しかし、テクノロジーの進化をルールが後追いしている以上、今回の新規定がすべての問題を解決したわけではない。

写真上=厚底シューズ論争にひとつの区切りがついた世界陸連の新規則だが…
撮影/桜井ひとし

 1月31日、世界陸連は過去3年、主に長距離ロード種目で好記録を生み出した選手が多く着用していた「厚底シューズ」の調査を終え、規定のなかった跳躍種目以外のソール(靴底)の厚さをはじめ、シューズについての新規定を公表した。

 まずは新規定の主な概要を記してみる。

「ソールの厚さは、40mm以内」
「スパイク付きシューズのソールの厚さは、30mm以内」
「反発力を生み出すために用いられるソール内のプレートを1枚までとすること」
「デザイン(見た目)の変更、健康上の理由がある場合以外、カスタマイズ(特注)品は認めない」
「大会で着用可能なのは、市販開始から4カ月以上経過したシューズ」 

 これらの新規定は2020年4月30日から施行され、厚底シューズの代名詞、ナイキ社の「ズームX ヴェイパーフライネクスト%」は新規定をすべてクリアしており、引き続き、競技会での使用が認められることになった。さらに同社が2月上旬に発表したヴェイパーフライの進化版「エア ズーム アルファフライ ネクスト%」も同様に新規定をクリアする。同時に、アルファフライにも使用された「ズームエア」というナイキ社独自のテクノロジーを用いたスパイクシューズも発売予定で、オリンピックでは多くの種目で選手が着用することが予想される。

 もちろん、ナイキの動きに他のライバルメーカーも黙っているわけではない。アシックス、ミズノ、アディダス、ニューバランスといった各メーカーもそれぞれの特性を生かしつつ、反発力を生み出すカーボンプレートを使用したものをはじめとする新製品を当初の予定より前倒しで発売する。これは東京五輪の日程に大きく関係しており、陸上競技初日の7月31日を基準にすれば、少なくても3月31日までに発売されたシューズでなければオリンピック本番で着用できないことになるためだ。

アディダスからもカーボンプレートを搭載したアディゼロプロが発売される
写真/アディダスジャパン

残された問題点

 今回の新規定で厚底シューズ論争にひとつの区切りがついた部分もある。だが、問題はまだ多く残されている。

 まずはそもそも問題視されていた「反発力」についての数値的規制が示されていない点だ。

 世界陸連が公表した独自調査の報告のなかには、「(ロード用、スパイクシューズ共に)近年のテクノロジーの進化が選手のパフォーマンスに利点を提供する可能性があり、スポーツの安全性(公平性)が脅かされる懸念を提起する証拠がある(要約)」と、選手のパフォーマンスへの助力効果のあるシューズの存在を認めつつ、いったいどこまでを「助力となる反発力」なのかがグレーのままだ。ソールに埋め込むプレートの枚数制限がひとつの答えとなっているが、プレートの素材によって「反発力」は大きく変わってくるもの。数値的な基準が示されない限り、根本的な解決にはならない。

 もっとも、ここまで書いておいて何だが、そこまで世界陸連に求めるのは、現状では、ある意味無理なのかもしれない。

 落とし込んだ検査をするとなると世界陸連内に検査ラボのような部署を常設し、世界中で発売されるシューズの公認作業を行わなければならなくなる。

 約10年前、競泳界で起こった高速水着論争の際は、最終的に「水着は膝上以上、肩を覆わない」といった形状、そして水を通さないラバー素材の使用禁止などの規制が設けられ(ちなみにレーザーレーサーはラバー素材ではない)、その後、発売される水着には「国際水泳連盟」の承認マークをつけるようになった。とある地方大会で日本新記録が出た場合、記録の公認申請をする際には、競技役員が必ずデジカメで水着の表面、マークの入った裏面を撮影した写真の送付が義務化された。

 だが、仮に世界陸連が同様のことを行うのは現実的には厳しいだろう。数的に水着と比較にならないほど発売されるシューズについて、メーカー側に市販用商品の提出を義務化し、検査する。そのためには人的、物的な投資が必要で、莫大なコストがかかることが予想されるからだ。

 また、厚底シューズなどロード用シューズの陰に隠れていたトラック種目、特に短距離のスパイクピン付きシューズについては、あおりをくらった形となった。長距離シューズに比べ市販数が少ない上、長距離以上にコンマ数秒単位の戦いとなる種目において、トップ選手用のシューズは、新規則では禁止されたカスタマイズがなされてきた(長距離も同様ではあるが)。しかもそのカスタマイズが今回の厚底シューズのように、全体的、かつ飛躍的な記録向上につながってきたとは言い難い。「市販品」という基準は公平性を保つためには必要だが、オリンピックまで約半年のこの時期に示された新規則に、多くのスプリンターやコーチが戸惑いを感じても不思議ではない。

競技の純粋性と競技の進化

 人間の心理とは面白いものだ。

 陸上競技、競泳は、似て非なるものだが、記録で勝負が決まるスポーツ。自らの体でだれよりも速くゴールへ向かおうと不断の努力を続けていく。そのような競技が誕生したときからの普遍的な純粋性は、今でも競技に関わる者、また見る者の潜在的な意識に根付いている。競技を司る連盟にしても、そうした競技の本質を絶対視してきたからこそ、これまで細かい数値で規制を行わずにいたはずである。

 一方で競技の歴史においては、アスリートの進化とともに、身に着けるギアの重要性が増してきたことも事実。エリート選手になればなるほど、メーカーとの関係が深まり、互いにひとつの目標に向かってきたのである。その結果、新記録を樹立した者、ビッグゲームで勝利を収めた者に対して、世界中の人々は祝福を贈ってきたのだ。その過程を否定することはできない。

 実際、「厚底シューズ」は突然登場したわけではない。その起源となるモデルは、3年前に登場し、多くの競技会で着用されてきた。そのピークが2019年シーズンだったとしても、その進化に世界陸連の対応が後手に回ってしまった、というのが現状ではないだろうか。

 世界陸連のセバスチャン・コー会長の声明を見ると、そうした現状を受け入れながらも一歩進み始めたスタンスがうかがえる。

「シューズ市場全体を規制するのは私たちの仕事ではありません。しかし、エリートアスリートが着用するシューズが不当な助力を提供しないようにすることで、エリート競技の完全性を維持することは私たちの義務です。オリンピックイヤーに入ると、一般的にかなりの期間、利用可能なシューズを除外することはできないと考えていますが、現在のものよりも先に行くシューズの使用を禁止することで線を引くことができるよう調査を進めています」

 あとはどのくらい全種目において、選手やコーチが肌感覚として受け入れられる公平性を担保できるようにしていくのか。

 今後の成り行きにも注目していきたい。

文/牧野 豊

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