ソフトボール・マガジンで連載中の『さゆ先生のピッチングクリニック』。元日本代表の山根佐由里さんによる、ピッチングの技術紹介企画です。ソフトボール・マガジンWEBでは、過去に掲載した記事を順々に紹介してきます。今回は、その8回目。ピッチング技術を紹介する前に、山根さんのソフトボール人生を振り返っていただきました。

社会人時代の思い出
(2)常勝・トヨタでの成長

 トヨタ自動車に来てみると、しっかりとデータミーティングをしていました。最初のころは打たれたときの映像を見るとマイナスな感情に引きずられてしまうのが嫌で、配球は渡邉(華月)さん頼みでした。防御率は2点台とあまりよくありませんでしたが、トヨタは打線が良いのでピッチングの内容が良くなくても勝ててしまうという状況でした。

 ちなみに、この2010年は初めてトップの日本代表に選んでいただき、世界選手権に出場することができました。登板機会もたくさんいただけて、アメリカ打線を思ったより抑えることができて、どこかに慢心が生まれていたように思います。それが4年目の11年に悪い結果として表れてしまいました。引き続き日本代表には選んでいただきましたが、ぜんぜん成績が良くなくて、12年の世界選手権は声が掛かりませんでした。

 落選の悔しさを乗り越え頑張っていた矢先、今度はヒザにガングリオン(ゼリー状の物質の詰まった腫瘤で、痛みが出る)ができてしまい手術をすることに。10月に手術をして11月からトレーニングを再開しました。しかし、ケガの功名で、冬の期間に一人でクラブハウスにこもってトレーニングを積んだことで身体のコアが強くなりましたし、制球力や球の質も上がりました。

 結果、13年の日本リーグでは良いスタートが切れました。序盤でモニカ(・アボット)がクロスプレーの際に故障してしまい、私が踏ん張らなければならない状況になりましたが、プレッシャーを感じながらも、投げられなかった時期を経て迎えたシーズンでしたから、投げることが楽しかった。その年は、前半戦だけで7勝もできました。

 そんなとき、日本代表から再び声を掛けていただきました。このときは、日本代表に居続けるために、上野さんの次に投げられる投手になろうと意を新たにしました。6月の東アジアカップでは任された試合は絶対抑えるという強い気持ちでマウンドに立って、そうしたら自然と結果が付いてきて翌14年も呼んでいただくことができました。(ソフトボール・マガジン2018年11月号掲載記事)

講師プロフィール

山根佐由里(元トヨタ自動車)
やまね・さゆり/1990年1月24日、三重県出身。右投右打。投手。宇治山田商業高-レオパレス21(2008年~09年)-トヨタ自動車(10年~17年)。高校3年時に世界ジュニア選手権で準優勝。レオパレス21時代の実業団1年目に新人賞に輝く。トヨタ自動車移籍後、12年から16年までの5年間でリーグ記録の42連勝を打ち立て、14年には最優秀投手賞を受賞。日本代表では10年、14年、16年と世界選手権出場。17年限りで現役引退。

画像: 講師プロフィール

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