反り手の中で、この襷反りと掛け反りが最もよく使用される手であって、襷反りは掛け反りよりも腰がよい者でなくては使えないのに反して、掛け反りそれほど腰がよくなくても使える。襷反りがプロの技とすれば、掛け反りはアマのよく使う手ということになる。

※写真上=昭和26年夏場所3日目 栃錦対不動岩 身長176センチの小兵・栃錦が、214センチの巨漢・不動岩を翻ろうした一番。栃錦は不動岩の突っ張りを手繰るようにしてその懐に飛び込んだ。そして不動岩の左手をつかんでその大きなワキの下に自分の頭を差し入れるや、後ろに反り返るように持たれ込んだ。不動岩は土俵から飛び出しつつ右横向きになって倒れた。ここに相撲史上でも珍しい襷反りの奇襲が完成された  

 長い人生には、誰にもエポックメーキングな瞬間があり、それはたいてい鮮やかな一シーンとなって人々の脳裏に刻まれている。
 相撲ファンにも必ず、自分の人生に大きな感動と勇気を与えてくれた飛び切りの「一枚」というものがある――。
 本企画では、写真や絵、書に限らず雑誌の表紙、ポスターに至るまで、各界の幅広い層の方々に、自身の心の支え、転機となった相撲にまつわる奇跡的な「一枚」をご披露いただく。
※月刊『相撲』に連載中の「私の“奇跡の一枚”」を一部編集。平成24年3月号掲載の第2回から、毎週火曜日に公開します。 

プロ中のプロの技

 襷反りに限らず、反り手の中心は首ということになっているので、相手の肩や頭より外や上に自分の首、すなわち頭があってはならぬということになる。腕を下手、上手というように、首や頭をそれに合わせて表現すれば、上首、上頭とでもいうべきか。こんな面倒なことをいうより、反りとは必ず自分の頭が相手のワキ下に入っているか、腹や股間にあることであって、相手の体重を首に受けて、手を補助として、横や後ろに反り倒す技である、といった方が分かりやすい。

 襷反りは腰や股間に頭が入っていることになるが、首はそれほど使っていない。ただ反ることだけは間違いない。

 首を相手のワキ下に入れると、相手のその手のヒジをつかんで抜かれぬようにする。すなわち、相手の差し手の方のワキ下に首を入れるのである。

 たとえば、左を差して相手の左ワキ下に首を入れたとすると、相手の左差し手を右手で十分につかむ。この場合、モロ差しになられ、自分の左手も上手になっていては襷反りはできない。左差しての場合は、その左差し手を抜いて、相手の左足の太モモからヒザの裏側に掌を当てて、上に上げながら首を反らして、自分から後ろに、腹を突き上げるようにして反って倒れ込むのである。相手は左足を上げられて横転していく。ちょうど人間を襷に掛けたような形になるのでその名称がある。

 この手は長身の相手に用いて効果がある。ただ、取る足を引かれていたら手が届かずに失敗するので要注意である。右四つなら右ワキに首を入れて、相手の右足を取って反るようにしなければならぬ。誰でも自分の方の足を必ず出しているからである。

名人の面目躍如

 栃錦がまだ三役時代の昭和26(1951)年夏場所3日目、不動岩に対して、この襷反りを作戦した。

 立ち合いに不動岩の左を引っ張り込み、首を入れて左手を不動岩の左足に掛けようとしたが、届かなかった。あのとき、不動岩が左で下手投げを打つようにしたが、右上手から栃錦の腰を押しつけていたら、栃錦は尻をついて負けていたかもしれない。

 しかしあまりにも変わった攻め方に不動岩も面食らったのであろう。かえって左手を抜いて栃錦の体を吊るようにしたので、不動岩の腰が栃錦に近づいた。栃錦は左手で不動岩の左横ミツをつかんだ。それがちょうど二人の組んだ位置が青房寄りで、不動岩が土俵に詰まっていたので、栃錦がそのまま体を反らして倒れていったのである。不動岩は右横向きになって先に倒れた。

 決まり手は襷反りとなったが、手の位置が違っていた。しかし、形は襷そのままであった。

 こんな技は「おそらく昔から、常用する手ではなかったろう。いかに得意であっても乱用すべきではない。相手によって用いるものである。栃錦が不動岩に用いて勝って以来、勝負は別としても見た印象がない。

[『名人栃錦 絶妙の技』(ベースボール・マガジン社刊)より転載]

語り部=秀ノ山勝一(元関脇笠置山。『決まり手七十手』制定者)

画像: 典型的「襷反り」図

典型的「襷反り」図

月刊『相撲』平成28年6月号掲載

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