ある寿司屋で知り合った二人が熱い恋に落ちるのに、たいして時間はかからなかった。いつも周囲と戦っている貴ノ花にとっては、この憲子さんと会っているときだけが、ホッとくつろぎ、人間らしい心を取り戻せる時間だった。

※写真上=昭和45年秋場所5日目、横綱大鵬を破り初の殊勲賞を獲得した
写真:月刊相撲

 果たしてオレは、この大相撲の世界で大成できるのか――。
 周りのライバルたちとはもちろん、自分の心の中に渦巻く不安との闘い。そんな苦しい手探りの中で、「よし、これだっ。こうやったら、オレはこの世界で食っていけるぞ」と確かな手応えを感じ取り、目の前が大きく開ける思いがする一瞬があるはずです。
 一体力士たちは、どうやって暗闇の中で、そのメシのタネを拾ったのか。これは、光を放った名力士たちの物語です。
※平成4~7年『VANVAN相撲界』連載「開眼!! 相撲における[天才]と[閃き]の研究」を一部編集。毎週金曜日に公開します。

【前回のあらすじ】「若乃花の弟」というレッテルに対する憤りやプレッシャーがスピード出世のエネルギーとなり、18歳で十両、幕内昇進を果たしたが、心は戦いに疲れてくたくたに。精神的に行き詰まっていたとき、一人の女性と巡り合う――

反対する兄に反旗を翻し、強硬手段で入籍

 ところが、やがて毎晩のようにデートを重ねる二人の仲を二子山親方が知ることに。

「なんだ。まだ幕内にも定着してないのに、女なんか作りやがって。今のお前は、そんなことをしている余裕はないはずだ。別れろ。どうしても別れられない、というんだったら、出て行け!」

 と、二子山親方(元横綱初代若乃花)の反応は二人が想像していたとおりのものだった。

 というのも、二人が知り合ったのはまだ貴ノ花が18歳のときで、真剣に結婚を考えるようになったのは19歳。この交際期間中の貴ノ花は、史上最年少で入幕を果たしたものの、わずか3場所で十両に転落し、再び幕内に復帰するのに4場所もかかった。

 再入幕しても、大勝ちしたかと思うと、次の場所に大負けし、幕内の上と下を行ったり来たりの繰り返し。大相撲界きっての人気者で、みんなの期待は大きかっただけに、二子山親方をはじめ周囲のイライラは、つのりにつのっていたのだ。

「女にうつつを抜かしているときじゃないぞ」

 と、たとえ二子山親方でなくても怒って当然の材料が、周りにいくつも転がっていた。と同時に、二子山親方は、貴ノ花がまだ若すぎるために、

「あまり早く家庭を持つと、人間的にもこぢんまりとなって、伸びる相撲も伸びなくなってしまう」

 ということを心配したのだった。

 しかし、貴ノ花の憲子さんを思う気持ちは、もうそんな大人の判断が耳に入らないところまで熱く高まっていた。

 よし、それじゃ、誰も文句を言わないような成績を挙げればいいんだろう。

 人生をプラス思考で、単純明快に割り切れるのが若者の特権である。

 昭和45(1970)年秋場所、20歳7カ月の貴ノ花は、初めて西の「小結」に昇進。ここで一世一代の“大博打”を打った。

 がんとして二人の交際に反対し、どうしても結婚を許してくれない二子山親方に反旗を翻し、無許可のまま入籍する、という強硬手段に打って出たのだ。

「場所前、オフクロが、そんなに好きなら一緒になるしかないじゃないの、と言って、婚姻届を出すのに必要な書類を用意してくれたんですよ。周りは四面楚歌ですから、うれしかったですね。それに名前を書き込んで、杉並区役所には二人で出しに行きました。これでもう、あとは一生懸命にやるしかない。あのとき、女房に対して、身の引き締まるような責任を感じたのを、昨日のことのように思い出します」

 と、貴ノ花改め藤島親方(当時)は、この、初めて師匠に正面切って反乱を起こした日のことを振り返った。9月14日、秋場所2日目のことだった。

 ところが、この切羽詰まった意気込みが裏目に。この場所、失敗を許されない貴ノ花は、初日、そしてこの入籍記念日の2日目、ときなり連敗し、大きくつまずいてしまったのだ。

 貴ノ花が顔面蒼白になったのは言うまでもない。しかし、3日目からようやく体と気持ちの歯車がかみ合い出し、5日目には大横綱大鵬からも初めて白星を挙げるなど、見事9勝を挙げて、初の殊勲賞まで獲得した。入籍は吉と出たのだ。

 思い万感の千秋楽、貴ノ花は、

「人間というのは、気力さえしっかりしていたら、どんなことでも乗り切れるんだ」

 と何度も反すうし、これからも今場所の気持ちを忘れなかったら、苦労して結ばれた憲子夫人を養っていける自信がふつふつと湧いてくるのを感じた。この場所を境にして、貴ノ花はそれまでとは一皮むけたプロの力士になったのだった。(続)

PROFILE
貴ノ花利彰◎本名・花田満。昭和25年2月19日、青森県弘前市出身。二子山部屋。182cm106kg。昭和40年夏場所、本名の花田で初土俵。43年春場所新十両、同年九州場所新入幕。44年夏場所、貴ノ花に改名。47年秋場所後、大関昇進。幕内通算70場所、578勝406敗58休。優勝2回、殊勲賞3回、敢闘賞2回、技能賞4回。56年初場所に引退し、年寄鳴戸を襲名。同年12月、藤島へ名跡変更、57年2月、藤島部屋を創設、横綱貴乃花、若乃花、大関貴ノ浪、関脇安芸乃島、貴闘力らを育てた。平成5年、二子山と名跡交換、16年2月、二男貴乃花に部屋を譲った。平成17年5月30日没、55歳。

『VANVAN相撲界』平成4年9月号掲載

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