昨シーズンの大学長距離・駅伝界でその名をとどろかせた相澤晃(東洋大)へのインタビュー。大学4年間を振り返るその言葉からは、東洋大学の精神を表す「鉄魂」の要素が多くちりばめられていた。

写真上=笑顔で大学4年間を振り返った相澤
写真/川口洋邦(陸上競技マガジン)

――箱根駅伝の後は都道府県駅伝があったり、福島に帰ったり、忙しそうでしたね。

相澤 箱根が終わってから福島で表彰があったり、講演をさせていただいたり、忙しかったのですが、貴重な経験をさせてもらい、充実していました。地元の小中学校に行ったら、みんなが僕のことを知ってくれていて、驚きました。

――講演ではどんな話をしたのですか。

相澤 大した話はしていないのですが……下手な伝え方だったとは思いますが、大学4年間で学んだことを自分なりの言葉で伝えました。都道府県駅伝でも、レース後に中高生に話をする機会がありました。福島県チームは2連覇を逃して(14位)、みんなすごく落ち込んでいて。そのときは、東洋大のチームメイトの今西(駿介、4年)が1年生のときに言っていた、「雪に耐えて梅花麗し」(※注)という言葉を使わせてもらいました(笑)。

※注/大きな成長を遂げるには忍耐が必要、という意味。明治維新の功労者、西郷隆盛が残した言葉。

――この春、相澤選手の母校・学法石川高から東洋大に進む2人の後輩にはどんな言葉を掛けましたか。

相澤 松山和希には、「東洋大を背負って走ってほしい」と言いました。都大路(全国高校駅伝)の1区では28分台で2位、都道府県駅伝でも5区区間タイで区間賞。あれだけの走りをすれば周りの期待も大きいと思いますが、彼はマイペースな性格で、あまり緊張しないタイプです。「箱根の2区を走ってくれよ」とも伝えました。1年目から楽しみですし、エースになってほしいですね。1区で41位だった渡辺亮太も、良いタイムを持っている選手(5000m14分00秒01)。同じ須賀川市出身だから応援していますし、「苦しいときこそ耐えて、練習から頑張ってほしい。松山に勝つくらいになってくれ」と話しました。

「同期生の支えなくして
ここまでこられませんでした」

――あらためて、大学4年間を振り返ってください。

相澤 人間的にいろいろなことを学びましたし、走りの面でも成長できました。最後の年にキャプテンをやらせてもらったことが良い思い出です。競技人生で初めてのキャプテンで、分からないことばかりだったのですが、同学年の選手たちと協力しながらやってこられたことは、今後の財産になります。

――3年生に進級するときには学年主任を断ったのに、4年目はキャプテンを引き受けました。

相澤 最後の年は、自分が走りで引っ張りたい気持ちがあったからです。僕が入学する前のことですが、酒井(俊幸)監督がそれまで役職に就いていなかった設楽啓太さん(日立物流)、悠太さん(Honda)兄弟を主将、副将に指名したことがありました。チームのため、そして設楽さんたちの成長を願ってのことだったそうで、自分が酒井監督に求められているのも同じことだろうと思って引き受けたんです。

――実際、キャプテンになってみていかがでしたか。

相澤 前期のトラックシーズンは他の部員に刺激を与えることができましたし、三大駅伝で流れを変える走りができたので、競技面では引っ張れたと思います。ただ、周りを見ながらチームをまとめるのが難しかったですね。3年生までは自分のことに集中していたので、気持ち的にも余裕がありましたが、キャプテンになってからは夏合宿中なども迷ったり、悩んだりすることが多かったです。

――同学年の選手たちに助けられたことは?

相澤 同期生がいなかったら、ここまでやってこられませんでした。1月初めに退寮してからは就職先の旭化成の社宅にいますが、1人部屋なので、帰ったときに寂しいですね。この1年間は同学年の選手だけの部屋だったので、気心の知れた仲間がいつも近くにいた。同期生の存在の大きさを改めて感じています。副キャプテンの今西は、僕に意見をズバッと言ってくる数少ない選手。僕の良くないところを今西が指摘してくれて、本当にありがたかったです。寮長の定方(駿)は寮の美観など、僕の手が回らない部分をしっかりやってくれました。彼らには、ミーティングでも助けられましたね。

――定方選手は4年生で初めて三大駅伝を走って、出雲で6区3位、全日本で7区2位。相澤選手も期待していましたが、最後の箱根を走ることができませんでした。どんな言葉を掛けましたか。

相澤 走れないかもしれないとなったときは、「最後まであきらめないでやってくれ」とは言いましたが、今後の競技生活もあるので、足が痛いなら無理はしてほしくない、という気持ちもありました。最終的に箱根を走れませんでしたが、練習面でも生活面でもチームを支えてくれて、ありがとうと伝えたいです。

画像: 最終学年は同期たちに支えられ、主将の役割を果たした相澤。チームメイトたちへの思いも強いものがあった(写真左から定方、3年生の大澤駿、相澤、渡邉奏太、今西、3年生の西山) 撮影/井出秀人(陸上競技マガジン)

最終学年は同期たちに支えられ、主将の役割を果たした相澤。チームメイトたちへの思いも強いものがあった(写真左から定方、3年生の大澤駿、相澤、渡邉奏太、今西、3年生の西山)
撮影/井出秀人(陸上競技マガジン)

「日本選手権を走ったことで、
その先を見るようになりました」

――4年前、大学に入学したときにはどんな目標を持っていましたか。

相澤 初めはトラックの個人レースにはそれほど興味はなくて、箱根で優勝したい、2区で区間賞を取りたいという気持ちでした。今の自分は全く想像できませんでしたね。

――意識が変わったきっかけは?

相澤 3年生になって、安定して結果を出せるようになったことです。特に日本選手権を走ったことで、その先を見るようになったと思います。それまでは、ただ日本選手権に出たいという気持ちでいたのが、実際に出てみたら8位だったことが悔しかったですね。
 あと、夏にアメリカへ合宿に行ったときに、大迫傑さん(ナイキ)やピート・ジュリアンコーチの話を聞いて、大迫さんのような選手になりたいと思いましたし、箱根をゴールにしてはいけないと考えるようになりました。ですので、4年生になって、10000mで27分40秒を狙うつもりで春先から取り組んできました。結果的にはダメだったのですが、自分がやりたい練習、やらなければいけない練習を、酒井監督と相談して考えながらやってきました。この1年は強い選手に負けたくないという気持ちが大きくなりましたし、大迫さんだから、悠太さんだから勝てない、という思いもなくなりました。

――4年間で、体力面で成長を感じるのはどんなところですか。

相澤 距離走に対する苦手意識がなくなりました。高校のときはスピード練習が多かったので、スタミナ面に不安があって……。都大路では4区を2回走りましたが、あまり良い成績を残せませんでした(区間19、14位)。大学でスタミナ練習をするようになって、長い距離に自信がつきました。

――フィジカルトレーニングの成果も感じますか。

相澤 高校までは何となく補強をやっている感じでしたが、大学では学年が上がるごとに、自分に足りないものが何なのかを考えながらやるようになりました。東洋大のフィジカルトレーニングが体に染み込んだのが、成長した一つの要因だと思います。

――今年の東京五輪は10000mでの出場を狙いますが、その後はマラソンに移行するとのこと。マラソンに対して意欲が出てきたのはいつごろですか。

相澤 3年生くらいですね。2年生の2月に熊日30㎞を走ってみて、長い距離に適性があると実感しました。それで、将来的にマラソンをやりたいと考えたときに、いつやるか。ジュリアンコーチに質問をしたら、「トラックのスピードを磨かなくてはダメだよ」と言われたこともあり、スピードを出せる時期にスピード強化をしないのはもったいない、と。大迫さんや悠太さんのようにトラックで結果を残してからマラソンへ、というステップでいきたいと思いました。

――昨年9月には、MGCを沿道で観戦されました。

相澤 初めて生でマラソンを見たのですが、一人ひとりのオリンピックに懸ける思いが伝わってきましたし、自分もいつかこの選手たちと一緒に走りたいという気持ちになりました。

――東洋大の先輩、服部勇馬選手(トヨタ自動車)が2位に入り、代表に内定しました。

相澤 勇馬さんは憧れの選手。試合で会ったり、夏合宿や全日本大学駅伝のときに、宿舎に来ていただいたりして、話す機会がありましたが、いつも緊張してしまいます(笑)。

「選手自身に考えさせることを、
監督は大切にされていました」

――4年間で、チームへの思いはどのように変化していきましたか。

相澤 入学するまでは、見ているだけの憧れのチームだったのが、今は自分たちが東洋大を背負っているのだと思えるようになりました。先日、寮に行ったら、退寮してからあまり日が経っていないのに懐かしいな、と思いました。すごく愛(いと)おしいというか。

――酒井監督に対しては、どんな気持ちですか。

相澤 今の自分があるのは酒井監督のおかげですし、いろいろなことを教えていただきました。東洋大のチームスローガンである「その1秒をけずりだせ」、「怯まず前へ」の精神もそうですが、「凡事徹底」、基礎を大事にする姿勢が身に付きました。監督がメディアの取材で答えることをそのまま言えるくらい、考え方が染み込みましたね。4年生になってからは特に、個人レースの前も、駅伝前にも、自分から「こういう練習をしたい」と伝える機会が増えました。監督の立てる練習メニューと、僕が考えているものと一致することが多かったので、意思疎通ができていたのだと思います。言われたことだけをやるのではなく、選手自身に考えさせることを、監督は大切にされていました。

――後輩たちへのメッセージをお願いします。

相澤 2019年度は僕頼みのチームだと、周囲からは見えていたかもしれません。確かに、「自分がやらなくても誰かがやってくれる」という考えの選手もいました。そうではなくて、一人ひとりが主役だと思って、欲を出してほしい。意欲がないと成長できません。「区間3番でいい」ではなく、やるからには「区間賞を取るのだ」という気持ちで臨んでほしいですね。

――新キャプテンの大森龍之介選手、副キャプテンの西山和弥選手(共に3年)にはどんなことを期待しますか。

相澤 大森はとても明るい性格。力がある選手なので、走りの面でも引っ張ってほしいです。西山はこれまで以上にプレッシャーが大きくなるでしょうが、練習で自信をつけてほしい。今を乗り越えなくてはいけない。一度しっかり走れれば、大丈夫だと思います。

――最後に、卒業後の目標を教えてください。

相澤 10000mを27分台で走れるマラソンランナーになることです。スピードがなければ、今のマラソンでは勝負できません。やるからには、オリンピックや世界選手権で戦える選手になりたい。そうなるのに一番近いのは旭化成だと思って、入社を決めました。僕より強い選手、国際大会に出ている選手がたくさんいるので、先輩方と一緒に走ることで成長していきたいです。

※本記事は、「陸上競技マガジン2020年3月号」からの転載。取材は2020年1月下旬。

構成/石井安里

★Profile/あいざわ・あきら◎1997年7月18日、福島県生まれ。178㎝、62㎏。O型。長沼中→学法石川高(共に福島)。出雲、全日本、箱根の三大駅伝には4年間で10回出場し、18年全日本から20年箱根までの5大会連続を含む6度の区間賞獲得。また、三大駅伝すべてで区間記録保持者に(出雲3区、全日本3区、箱根2区)。2019年日本選手権では5000m、10000mでそれぞれ5位、4位となり、学生選手として42年ぶりに2種目入賞を果たした。自己ベストは5000m13分34秒94(2019年)、10000m28分17秒81(18年)、ハーフ1時間01分45秒(19年)。

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