close

2020-07-29

【アメフト】初の日本人NFL選手を目指す K佐藤敏基(2)復活 そして日本タイ58ヤード

アメリカンフットボール、IBMビッグブルーの佐藤敏基にとって、Xリーグ初年度の2016年は辛い結果だった。しかし、大きな出会いと決断をした年でもあった。

【関連】この記事の1回目

コーチ・マイケルとの邂逅 挑戦を決意

 早大以来のキッカーとしての師・丸田喬仁さんが、櫻井義孝さん(当時はアサヒビール・シルバースター)と共に2015年12月に「ジャパン・キッキング・アカデミー(JKA)」を立ち上げた。JKAは2016年6月に、タンパベイ・バッカニアーズなどでKとして活躍したマイケル・ヒューステッドさんをコーチとして招いたクリニックを開催した。

 佐藤にとってアメリカの師である、「コーチ・マイケル」との出会いだった。大学生や社会人選手も参加したコンペティションで、佐藤は55ヤードを蹴って1位となった。コーチ・マイケルは、佐藤にNFLに挑戦してみないか、と声をかけたのだ。

「『いやいや、それはちょっと言い過ぎでしょう』と思いました」

 しかし、マイケルは「今すぐは無理だが、君の課題はこういう部分だ」と具体的に指摘。「光るものがある。(自分の拠点である)サンディエゴに来て一緒に練習しないか」と誘ってくれた。

 佐藤は、2年前、2013年のウィスコンシンの記憶を呼び起こしていた。

 「アメリカ人のKは、まったく歯が立たない相手ではない」

 佐藤は覚悟を決め、入社したばかりの大手不動産会社を辞職した。

「短い間だったのですが、本当に良くしてもらったし、慰留もされました。ですが最後は快く送り出してくれました」

 NFLへの挑戦の始まりだった。

ボウルゲームで入場するK佐藤=撮影:小座野容斉

 唐突に抜けたトンネル

 2017年春、佐藤は渡米、コーチ・マイケルの下で腕ならぬ脚を磨いた。Kの役割はFGだけではない。キックオフのフリーキックでは、長く高いキックを蹴ることがまずは重要だ。佐藤は、自分のフリーキックが、距離や滞空時間の点で米国人選手に劣っているのを意識、肉体の改造にも踏み出した。

 「試合で実際に蹴ることも重要」というコーチ・マイケルの助言を受け入れ、秋のシーズンは日本でゲームに出ることにした。一度崩れたフィールドゴール(FG)の調子はなかなか上がらなかった。短い距離は決められるようになっていたが、得意だったはずの長距離の確実性が戻らなかった。

 その状態で迎えた2017年12月18日の日本社会人選手権「ジャパンXボウル」。IBMは富士通と対戦した。試合は23-63と大敗したが、佐藤は大会新記録となる50ヤードを含む3本のFGを決め、敢闘賞に選ばれた。しかし、佐藤にとって、もっと大きかったのは、失っていたキックの感触を取り戻したことだった。

 「新記録となったキックではなく、その前に決めた最初の(38ヤードの)FG、非常にクリーンにコンタクトできました。そしてボールが良い回転でゴールポストに入っていった瞬間に、自分の中で『プツン』と何かが変わりました」

 佐藤が長いトンネルから抜け出た瞬間だった。50ヤードFG成功は、本来の自分を取り戻した佐藤にとって、その結果に過ぎなかった。甲子園ボウルの挫折から2年と5日後のことだった。

 2018年、シーズン終盤に向けしり上がりに調子を上げ、プレーオフ2試合では40ヤード超のFGを3本決めた。ジャパンXボウルでは、FG4本を決め、2年連続の敢闘賞にも輝いた。

キックを蹴った後ボールの弾道を見る佐藤=撮影:小座野容斉

米国人の中で、54ヤードを決める

 2019年春、佐藤は新たなチャレンジに出る。米国のプロフットボール育成リーグ「THE SPRING LEAGUE(ザ・スプリング・リーグ、TSL)」に所属して、米国人の中で試合をしたのだ。

 4チームで形成されるTSLは、2試合を戦う。有望な選手が所属するオースティン・ジェネラルズに配属された佐藤は、最初の試合で47ヤードと49ヤードの2本のFGを決めた。ジェネラルズには、佐藤と同様に日本から挑戦したRB李卓(オービックシーガルズ)も在籍していたが、この試合は李卓のTDで6点、佐藤のFGとコンバージョンキックで7点と、日本選手が全得点を奪い、13-7で勝利した。

 次の試合、佐藤のキックはさらに冴えた。54ヤードと46ヤードの2本を決めた。

 最初の試合では、55ヤードでFGを狙えるチャンスがあったが、ヘッドコーチが無理だと判断した。そこで佐藤は、試合中にコーチにアピールしていた。

 「『55ヤードは届く、絶対に決めるから次は蹴らせてほしい』と声をかけていました。そんなことがあったので、54ヤードFGの際は『トシ、いけるだろ?決めて来い!』と送り出してくれました」

笑顔でインタビューに応じる佐藤=ZOZOパーク ホンダフットボールエリアで、撮影:小座野容斉

冷静と確信がもたらした必然の58ヤード

 帰国後も、好調は続いた。秋のリーグ戦6試合で、FGは11回蹴って10回成功、ポイントアフタータッチダウン(PAT)は23回全て決めていた。迎えた11月16日の東京ガス・クリエイターズ戦は、すでにプレーオフ進出の望みが消えていたIBMの最終戦だった。

 第2クオーター残り40秒で43ヤードのFGを決めた佐藤に、前半残り3秒でもう一度チャンスが巡ってきた。ボールオンは敵陣41ヤード。エンドゾーンの10ヤードとスナップの7ヤードを加えると58ヤードのトライとなった。

 決まれば、1988年の川上祐司(オンワード)、2000年の山口豊(マイカル)が持っている日本最長記録に並ぶFGだ。

 東京ガスは、蹴る直前にタイムアウトを取るなどかく乱に出たが、佐藤は動じなかった。佐藤の蹴ったボールはアミノバイタルフィールドのゴールポストの間に吸い込まれていった。日本記録に、IBMのサイドラインも応援席も盛り上がった。

 「シーズンが始まる前から『今年は日本記録を決める』と決めていました。また、前日の金曜日、早大でコーチをした際に、学生に『明日、日本記録決めてくるわ』と言っていたくらいで、心の準備はできていました」。

 「東京ガスのタイムアウトは、むしろ助かりました。と言うのもセットした際に、ボールがうちのボールでなく東京ガスのボールじゃないかと気になっていました。そんな中タイムアウトをとられて、確認したところ本当に東京ガスのボールでした。なので審判に伝えてIBMのボールに戻してもらいました※」

 試合会場のアミノバイタルフィールドは競技場の四隅に照明塔が立っているため、中央付近は薄暗くなる。そんな状況下でも、ボールの色で自軍のものかどうかわかるくらいに冷静でいられたことは、更に佐藤を落ち着かせた。

 2018年の春のパールボウルでも、59ヤードのFGにトライしたが、方向は良かったものの、距離が数ヤード届かなかった経験が、佐藤にはあった。

 「自分の性能自体が、パワーの面でも、テクニックの面でも、あの時より確実に高まっていました。ただ試合前の練習ではコンディションが悪く、55ヤードすら一本も入りませんでした。そんな中だったので、とにかく力まず、ボールの芯を捉えることにフォーカスして蹴りました」

 この試合で佐藤は2本のFGと6本のPATを決めた。

【ハイライト】19年第7節 IBM vs 東京ガス 日本タイ記録58ヤードのFGをK佐藤が決める(1分28秒から)=Xリーグ公式動画

 2019年の成績はFG12/13、PAT29/29で、オールXリーグのKに初選出された。佐藤は、名実ともに、日本でNo.1のKになった。<続く>

※通常、アメリカンフットボールは、オフェンスのときは自チームが用意したボールを使う。この場面は、直前のプレーが東京ガスのオフェンス(パント)で、IBMがブロック、リターンしてサイドラインに残り3秒で出ていた。

【小座野容斉】

長距離キッカーとしての才能を開花させた佐藤=撮影:小座野容斉

キックを決め、笑顔を見せるIBMのK佐藤。ホルダーを務める鈴木(85)は早大時代からの相棒だ=撮影:小座野容斉

おすすめ記事

PICK UP注目の記事

PICK UP注目の記事