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2021-01-05

【私の“奇跡の一枚” 連載99】98年前、奈良県出身力士の優勝者「鶴ケ濱増太郎」

大正11年1月、東前頭4・鶴ケ濱(荒磯部屋)は9勝1敗で幕内最高優勝を果たし、時事新報社から懸賞の大銀杯を贈られてニッコリ(武侠世界社発行、雑誌『武侠世界』大正11年5月号より)

長い人生には、誰にもエポックメーキングな瞬間があり、それはたいてい鮮やかな一シーンとなって人々の脳裏に刻まれている。
相撲ファンにも必ず、自分の人生に大きな感動と勇気を与えてくれた飛び切りの「一枚」というものがある――。
本企画では、写真や絵、書に限らず雑誌の表紙、ポスターに至るまで、各界の幅広い層の方々に、自身の心の支え、転機となった相撲にまつわる奇跡的な「一枚」をご披露いただく。
※月刊『相撲』に連載中の「私の“奇跡の一枚”」を一部編集。平成24年3月号掲載の第2回から、毎週火曜日に公開します。

葛?城市出身の鶴ケ濱
德勝龍も葛?城市で稽古

葛?城市は古くより、相撲の開祖「當麻蹶速」(タイマノケハヤ)伝説が語り継がれ、「當麻蹶速」の顕彰、相撲の普及活動及び観光の拠点としての象徴施設として葛?城市相撲館「けはや座」(当時は當麻町相撲館)が、平成2(1990)年に開館し、令和2(2020)年で開館30周年を迎えます。

また、相撲館前には當麻蹶速のお墓と伝えられております「けはや塚」があり、地元住民をはじめ数多くの観光客の方が訪れております。

相撲館内には本場所と同じ大きさの展示用の土俵があり、老若男女誰でも、上がることができることから本場所の土俵を肌で感じることや、力士の疑似体験もでき、大変好評です。

令和2年1月場所、西前頭17枚目(幕尻)の德勝龍が、奈良県出身力士としては98年ぶりに優勝しました。幕尻優勝は平成12年3月場所の貴闘力以来20年ぶりですが、当時の貴闘力は東前頭14枚目であり、西前頭14枚目には若の里(現西岩親方、この場所全休)がおり、今回の德勝龍が、真の幕尻優勝ではないでしょうか? 数多くの力士の中でも特に郷土力士を顕彰する当館にとりまして大変光栄なことであります。

今回德勝龍が幕内最高優勝することに合わせて98年前の大正11(1922)年1月場所で奈良県葛?城市長尾出身力士の優勝者「鶴ケ濱増太郎」が注目を受け、奈良県民はもちろんのこと、葛?城市民も相撲への関心が高まっております。

明治・大正期の日本相撲協会が公認する奈良県出身幕内力士は、明治18(1885)年に入幕し28年に引退した鶴ケ濱政吉(葛?城市新庄出身。明治21年より司天龍政吉に改名。年寄大嶽→中立)、明治31年に入幕し40年に引退した鶴ケ濱熊吉(奈良市米谷町出身、年寄伊勢ケ濱)、そして大正時代に活躍した鶴ケ濱増太郎(大正10年入幕、大正15年引退、年寄玉垣)。3人はすべて鶴ケ濱を名乗っており、鶴ケ濱政吉、鶴ケ濱熊吉の関係者からも問い合わせが相次ぎ、良い意味で先人の名前が思い出されたことは、郷土力士を顕彰及び国技相撲の普及活動を行う施設に携わる者としては大変うれしく思います。

父親の影響で柔道を習っていた德勝龍こと青木誠少年は、小学校4年の時、国技館で開催されたわんぱく相撲大会の出場をきっかけに相撲を始めました。当時、奈良県で定期的に相撲教室を行っていたのは、相撲館の土俵で行われていた「けはや道場」だけであり、5月から6月にわんぱく相撲の予選を勝ち残った選手は7月の全国大会までの数カ月間「けはや道場」で稽古するのが恒例でした。青木少年もその時の選手であり、当時から運動神経が良く、他のスポーツを行っても大成すると思っていました。当時は、角界に進むなんて想像もつかず、関取に昇進し、青木少年が、德勝龍として奈良県出身力士98年ぶりの幕内最高優勝を成し遂げるとは夢にも思いませんでした。また、98年前の優勝力士が、德勝龍が少年時代稽古を行った相撲館がある葛?城市出身力士であることは非常にご縁があると感じております。

語り部=小池弘悌(奈良県葛?城市相撲館「けはや座」職員)

月刊『相撲』令和2年3月号掲載

相撲 1月号 初場所展望号(No.917)

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