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2021-02-19

【連載 名力士ライバル列伝】「オレがいくら弱くなろうと、武蔵丸は永遠のライバル」 武蔵丸-貴ノ浪後編

2度目の大関陥落後も土俵に上がり続け、前頭筆頭の平成14年九州場所5日目、横綱武蔵丸から新入幕以来67場所目の初金星を奪った貴ノ浪。17場所ぶりの二ケタ勝利に敢闘賞も受賞した

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強烈な突き押し、右四つでの寄りを武器に、曙に続く二人目の外国出身横綱に昇進した武蔵丸。懐の深さで抜群の素質を生かした「規格外」の相撲で、二子山全盛期の名大関として名を馳せた貴ノ浪。58回の幕内直接対戦で大ブーム期の土俵を盛り上げた二人のライバルの軌跡を追う。
※平成28~30年発行『名力士風雲録』連載「ライバル列伝」を一部編集。毎週金曜日に公開します。

執念が生んだ宿敵からの初金星

57回目の対戦となった平成14(2002)年九州場所5日日、前頭筆頭に戻った貴ノ浪は武蔵丸を下手投げに破り、新入幕以来67場所目の初金星を挙げる。17場所ぶりの二ケタ勝利で敢闘賞受賞、三役復帰も決めた。

「オレがいくら弱くなろうと、武蔵丸は永遠のライバル」

まるでそのためだけに現役を続けているような貴ノ浪は、平成15年名古屋場所の58回目の対決でも、左手が使えない武蔵丸から金星を増やし、「まだまだ対戦の記録を残したい」と喜んだ。しかし、これが最後の対戦となった。貴ノ浪もまた体はボロボロ。平成に入り隆盛を極めた二子山部屋の関取の中で一人、孤塁を守っていたが、いつやめてもおかしくない状況だった。 

2場所後の平成15年九州場所8日目、武蔵丸が引退。心の支えを失った貴ノ浪は、平成15年、とうとう1年間勝ち越しなしに終わってしまった。そして半年後の16年夏場所、自らも土俵を去った。

武蔵丸の存在があったからこそ、貴ノ浪は、大関陥落後も長く現役を続けることができたし、武蔵丸もまた、強くライバル心を燃やし、対抗してくる貴ノ浪の存在がなければ、大関の地位を抜け出すことはできなかったかもしれない。58の対戦回数には、二人の黄金の土俵人生が詰まっていた。

『名力士風雲録』第13号武蔵丸・貴ノ浪掲載

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