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2021-03-02

【私の“奇跡の一枚” 連載104】「人間辛抱だ!」“土俵の鬼”の名言

色紙自体はやや黄ばんでいるが、豪快ながら細かいところまで気配りの行き届いた書はその内容とともに、いままたその価値を増している!

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長い人生には、誰にもエポックメーキングな瞬間があり、それはたいてい鮮やかな一シーンとなって人々の脳裏に刻まれている。
相撲ファンにも必ず、自分の人生に大きな感動と勇気を与えてくれた飛び切りの「一枚」というものがある――。
本企画では、写真や絵、書に限らず雑誌の表紙、ポスターに至るまで、各界の幅広い層の方々に、自身の心の支え、転機となった相撲にまつわる奇跡的な「一枚」をご披露いただく。
※月刊『相撲』に連載中の「私の“奇跡の一枚”」を一部編集。平成24年3月号掲載の第2回から、毎週火曜日に公開します。


なつかしのコマーシャル

新型コロナの感染のニュースに辟易し出した5月、孫たちが、スマホを見ながら、私たち戦後ベビーブーム前の世代にとって懐かしいセリフをつぶやいていた。「土俵の鬼」と言われた横綱初代若乃花(のち二子山理事長)が腕組みをしてビシッと決めていたあの「人間、辛抱だ!」だ。

いったいどうしたのかと聞くと、相撲協会のツイッターで、相撲界の大先輩が自分の信条としていたこの40年ほど前の「格言」を合言葉に、外出自粛を呼び掛けいてるのだという。

若乃花は、力士としては小さい体で、栃錦をライバルとして、戦後最初の大相撲ブームを巻き起こした日本の大英雄だ。

青森で船の荷役をになう沖仲仕をやっていた青年が、独立したばかりの弱小部屋に入門して以来、すさまじいまでの猛稽古によって、横綱まで上り詰めた。

守っては地に根が生え、攻めれば相手を一気、豪快に投げ飛ばして土俵に仁王立ち(自分の体を相手にもたれ込ませて一緒に倒れるようなケチくさい投げではない!)する姿は、不遜までに『土俵の鬼』そのものだった。

そしてこの横綱は、折に触れ発するコメントにも抜群の異能ぶりを発揮していた。身に染み込んだ自身の相撲体験からズバリと表現する言葉の痛快さは、人を深く納得させファンをしびれさせた。(「ちゃんこの味が染みていない」などについて、今では『相撲界ではこういうふうに言います』としたり顔で説明する輩がいるが、そんなものではない。彼の感性から思わずこぼれ落ちた言葉だったからこそ、当時の人々を感動させ、今に残っているのだ)。

二子山親方になったらなったで、一代で2横綱、2大関を擁する大部屋を作り上げ、年寄としても理事長にまで上り詰め、乱れた立ち合いの是正等に取り組んだ自身の物語。そして肝っ玉母さんとしても有名だった母を含めた、「角界のプリンス」実弟の花田満(のち大関貴ノ花)との師弟関係、またその子の花田(若貴兄弟)兄弟の相撲界入り、揃って大出世の物語から、名セリフは次々と生まれていった。

『人間辛抱だ!』というフレーズが名親方としての評価も高まった時期に出された著書のタイトルともなった言葉で、親方の人生を見事に象徴していた。

だからこそ、二子山・貴ノ花兄弟が腕組みしてデンと構えたところへ「人間辛抱だ!」とキャッチフレーズが入る観光関係の会社のコマーシャルはインパクト十分だったのだ。

その書も強靭!

根っからの「土俵の鬼」ファンだった私は、兄弟がゆえに必要以上に厳しかった師弟ばなしにハラハラしながらも二人を応援し、世間の人気とともに花の兄弟横綱のファンにまで流れ込んでいった。

私はその途中で、二子山部屋関係者の方と知り合いになり、この二子山の印が2つ押された『人間辛抱』の色紙(残念ながらどうもコピーのようだが……)を入手することができた。殺風景な居室がガツンと引き締まった気がしてうれしかったものだ。

その後その上に何枚かほかの色紙を重ねてきたが、ツイッターの話を聞いて、懐かしさも手伝い、今回久しぶりに正面に引っ張り出してみた。

書のことはよく分からないが、「かかとに目があるような粘り強さ」が感じられる作品と言ったら、うがち過ぎか。テレビのお宝鑑定団に出す必要もない。若乃花が我々に与えてくれた勇気と希望は、値段が付けられないほど高価だと改めて実感している。

語り部=投稿(“昭和 男”、76歳)

月刊『相撲』令和2年8月号掲載

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