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2021-02-26

【連載 名力士ライバル列伝】武蔵川3大関―二子山上位陣その1

平成13年夏場所14日目、貴乃花を巻き落としで破った武双山。翌日の横綱が見せた“鬼の形相”のドラマへの序章となるが、2場所連続で横綱を巻き落とした武双山のパワーもまた印象的だった

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空前絶後、1つの部屋に1横綱3大関が同時期に並び立つ壮観を実現させた武蔵川部屋。
その武蔵川3大関と、横綱貴乃花、若乃花、大関貴ノ浪の「二子山上位陣」との対決を中心に、
20世紀末~21世紀初頭の土俵を沸かせた「二子山」vs.「武蔵川」の対決構造を浮かび上がらせたい。
※平成28~30年発行『名力士風雲録』連載「ライバル列伝」を一部編集。毎週金曜日に公開します。

武双山―二子山上位陣

スタイル変更で
大横綱とも互角に

平成1ケタ代の初めは横綱千代の富士、北勝海の2横綱を擁した九重部屋が断トツの存在感を示していた。潮目が変わるのが、貴乃花(当時貴花田)が大横綱千代の富士を倒し、引退に追い込んだ平成3(1991)年夏場所。そこから若貴兄弟や安芸乃島(当時安芸ノ島)、貴闘力、貴ノ浪ら藤島勢が大きく台頭し、平成5年初場所後の合併による新生・二子山部屋の誕生で大勢力に。その後は、貴乃花を筆頭に常時3~5人の三役以上の力士を抱え、毎場所“包囲網”を敷いて他の部屋の有力力士を絡め取り、平成7年夏場所からは「二子山9連覇」を達成するなど黄金時代を謳歌した。

そうした中にまず斬り込んでいった武蔵川勢が、出世頭の武蔵丸であり、平成5年に彗星のごとく登場した武双山だ。“平成の怪物”の二子山上位陣との通算戦績は47勝64敗(対貴乃花11勝26敗、若乃花11勝14敗、貴ノ浪25勝24敗、不戦勝敗含む)。特に若乃花には平成6年秋場所から8連勝。持ち前の突進力で、技巧派の“お兄ちゃん”を圧倒した時期もあった。

たたき上げと学生のエリート。同じ親子鷹でも育ってきた環境は違うが、貴乃花もまた昭和47(1972)年生まれの同年代だ。武双山の貴乃花戦初勝利は平成6年名古屋場所。6日目に綱取りの大関(当時貴ノ花)を寄り倒し、結果的に兄弟子・武蔵丸の全勝初Ⅴを後押しした。さらに翌7年初場所では、初日に土俵際逆転の上手投げで、30連勝中の新横綱に土を付ける大殊勲。「最高の仕事始めになりました」と笑顔を見せた。

しかし好事魔多し。同場所6日目、貴闘力に突っ張った左腕を手繰られた際、左肩を脱臼してしまう。そもそも、この武双山を悩ますことになる脱臼癖は、前年夏場所の貴ノ浪戦で左肩を痛め、秋巡業中に同じ貴ノ浪との稽古で亜脱臼したのが端緒。二子山勢との“因縁”が深かったのだ。だが“怪物”はタダでは起きなかった。休場明けの夏場所、3日目に貴ノ浪、11日目に若乃花を撃破。13日目にはこの場所優勝する貴乃花も破った。上半身強化による武双山の引き付けは強烈で、上手がどうしても切れず我慢しきれなくなった貴乃花を、最後は左ハズで一気に押し倒したのだ。

一時は14連敗と歯が立たない時期もあったが、平成7年秋場所で左足親指を痛めたのを機に身につけた、左前ミツ・右おっつけの型が出来上がってからは貴乃花戦も分が良くなった。平成10年以降は8勝7敗、不戦勝1を除いても互角の数字だ。念願の初優勝を果たした12年初場所も、8日目に、「とにかく右を差されないように」と左の絞り、右のおっつけで押し出し完勝。翌場所、ついに大関取りに成功した。

『名力士風雲録』第14号武双山・出島・雅山掲載

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