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2021-03-03

【プロレス】3月3日はハヤブサさんの命日 永遠の不死鳥伝説!

ハヤブサさん

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 ハヤブサさんが旅立ってから5年が経った。多くのプロレスファンに愛され、現役選手たちにも大きな影響を与えた偉大なプロレスラーをしのんで、その偉大な足跡を振り返っていく。

 1991年5月、FMWでデビューした。リングネームは本名の江崎英治。長身に恵まれ、その身体能力やルックスと相まって将来を嘱望された。1993年10月に出発したメキシコ遠征でマスクマンのハヤブサに変身すると、翌1994年4月16日に両国国技館で開催された団体の枠を超えたジュニアヘビー級の祭典「SUPER J-CUP」に凱旋帰国。トーナメント1回戦で新日本の獣神サンダー・ライガーと対戦したハヤブサは開始ゴング前に先制のドロップキックを放ち、相手を場外へと落とすと、入場コスチュームを着たままのトぺ・コンヒーロでファンの度肝を抜いた。不死鳥伝説の幕開けだった。
 
 翌1995年5月5日、大仁田厚の引退試合の相手に直訴すると、電流爆破のリングで師匠と初対戦。その後は、新生FMWのエースとして団体をけん引していく立場となる。絶大な存在感を誇った大仁田が抜けた穴は大きかった。観客動員も苦戦。そのなかで新生FMWは従来のデスマッチに頼らぬスタイルで存在意義をファンに問うた。ハヤブサはともに未来を夢見た同世代の田中将斗、ザ・グラジエーターなどと壮絶な勝負を展開。新生の意地だった。その代償は大きく、度重なるケガに悩まされた。

 王道・全日本プロレスにも参戦した。1997年9月6日に日本武道館で小橋建太との初遭遇を経て、FMW9・28川崎球場ではその小橋とタッグ再戦。試合後には「あなたのこと追いかけさせてもらいます」と語った。同年暮れには新崎人生と組み世界最強タッグ決定リーグ戦にも出場。同年のプロレス大賞敢闘賞にも輝いた。

 その後、エンターテインメント色を強めるFMWで、冬木弘道コミッショナーから一方的に引退を宣告されると、素顔のH(エイチ)として登場したことも。中継していたディレクTVの撤退で団体が迷走するなか、ハヤブサは2001年5月5日、川崎球場で両ヒジの手術からの復帰を遂げた。WEWシングル王座を獲得し、名実ともにエースとしてFMW復活に向けて「お楽しみはこれからだ!」と力強く叫んでから半年後の同年10月に悲劇は起こった。

 10月22日、後楽園ホールで試合中の事故によりケイ椎損傷の重症を負った。当時、医師から「クビから下は一生動きません」と宣告され、絶望の淵に追いやられた。一時は自ら命を絶つことさえ考えた。だが、懸命のリハビリの結果、車イスから自力で立ち上がる姿をファンに見せるなど奇跡的に回復。

 引退は否定し、この先10年かかろうが、20年かかろうが、不死鳥のフルコスチュームでリングに立つ日を夢見ていると2015年夏に週刊プロレスのインタビューで前向きに語っていた矢先の2016年3月3日、午後12時にくも膜下出血のため永眠。47歳だった。

 今年でハヤブサさんが旅立ってから5年。いつまでも不死鳥伝説はみんなの胸で生き続けている。

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