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2021-04-15

【ボクシング】元チャンピオン船井龍一さんがキッチンカー『ふなどら商店』をオープン

国分寺市でキーマカレーのキッチンカーをオープンした船井さん

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元WBOアジアパシフィック・スーパーフライ級チャンピオンの船井龍一さん(35歳)がキッチンカーを開業した。現役引退から2年ほど、シンガポールチキンライス専門店『MR.CHICKEN鶏飯店』のキッチンカーで修業。ノウハウを蓄え、経験を積んで、この4月から独立した。

 人柄そのままのカレー

 キーマカレー『ふなどら商店』としての“デビュー戦”は4月9日金曜日、舞台は晴天にめぐまれた東京・国分寺『Sunベジカフェ』のオープンテラス。JR中央線国立駅を降りて、散歩がてら訪ねていくと、お手製の黄色と白にペイントされた可愛らしいキッチンカー、妻の安衣(あい)さんとともに現役当時から変わらない柔らかな笑顔が迎えてくれた。

 メニューは10種類のスパイスと鶏肉、野菜、フルーツの旨味がつまった「キーマカレー」「ふなどらカレー」の2種類にトッピング各種。基本のキーマカレーに「僕が美味しいと思うトッピングを組み合わせたのが“ふなどらカレー”なんですよ」と聞いては迷うまでもない。「無化調(無添加、化学調味料不使用)で、辛くないので、最初は物足りなく感じるかもしれないですけど、少しずつ混ぜながら召し上がってください!」。

 控えめな紹介の通り、ガツンと自己主張してくることはないものの、じわりと口の中に美味しさが広がっていく。優しい味わいは、小さな子どもから年輩の方まで親しんでもらいたい、という心づかい。アチャール(インドのピクルス)、温泉たまごなどを混ぜながら食べ進めると、また違った味わいへと刻々と変化する。それも「辛さがほしい!」という方向けのアーリーレッド(赤タマネギ)のアチャールを含め、どれかひとつの味が立つ、ということはなく、絶妙に調和していく。一言で船井さんの人柄そのままのカレーだった。

 この日はお祝いもかねてワタナベジムの先輩で元日本、東洋太平洋ミドル級&スーパーウェルター級チャンピオンの柴田明雄さん(39歳)が訪れ、柴田さんが千葉・松戸で主宰し、船井さんが週1回、トレーナーを務める『新松戸ボクシング&フィットネスジム・SOETE(ソエテ)』の会員さんたちも遠方から駆けつけた。その合い間に地元の方たちも初お目見えのキッチンカーにひとり、またひとりと集まってくる。これから週1回の楽しみ、名物になってくれたら、と思う。

 東京都と神奈川県で営業許可を取り、毎週金曜日の午前11時30分から、この『Sunベジカフェ』で、4月18日からは同じ時間に横浜・鶴見のマンション『ヴィラフォルテ2』の通り沿いで毎週日曜日に出店する予定。他の曜日の出店先も鋭意、開拓中という。

興味があることはまず挑戦

 カレーのキッチンカーを始めると知ったとき、引退表明から8日後の2019年8月27日、セコンドの手伝いを終えた後楽園ホールで聞いた声がよみがえった。

「僕、カレーとプリンが大好きなんですよ」

 その1ヵ月前からすでに修業をスタートさせ、「将来的に独立したい」という船井さんに「何のキッチンカーをやりたいか、イメージはある?」と尋ねたときである。

「だから、カレーかプリンかな、と思って」

 にっこりと笑い、そして続けた。「でも、まだどうなるかはわからないですよ。このまま今のところで働き続けてるかもしれないし」。この日、実際に彼のキッチンカーを目の前にカレーを食べながら、今年1月、船井さんが『夢について』と題して、自身のブログに綴っていたことを思い出した。

《(前略)別に夢がないからって気にすることはないと思う。興味が湧いたことをやって、そこから生まれたりもする。僕がそうだった。何かを一生懸命続ければやがて夢が生まれる、と思う。やりたくないことをする必要はない。自分自身が夢中になれることをやろう。行動しなければいつまで経っても蓋をしたままだ。興味があることはまず挑戦。そこで続けていく過程で夢や目標が生まれる。(後略)》

 彼らしいな、と感じた。彼の生き方そのものだな、と思った。聞けば、どこかの小学校の先生が「最近の子どもたちは夢がない」と嘆いているのを何かで見聞きし、書かずにいられなかったのだという。

 船井さんを初めて取材させてもらったのは彼が23歳、ノーランカーのときだった。武器のひとつになっていく左ジャブをほめると「ほんとですか!? ありがとうございます!」と目を輝かせていた頃、プロボクシングの世界で何者になれるのか、自分でもまだはっきりとは描けなかった頃のことである。

 素直で好奇心旺盛な若者、という印象が一番だった。小、中学校ではバスケットボール。ボクシングを本格的に始めるのは高校進学後、ワタナベジムに入ってからだった。卒業後、一度は就職するも3ヵ月で辞めている。プロテストに合格する一方で「料理が好きだから」と調理師専門学校に入学した。19歳でプロデビュー戦に勝利したあとの1年間は、学校を生活の中心に置き、きちんと卒業した。

 この間、スケボー、フットサルなどなど、「やってみたい!」と思ったことは何でもやった。専門学校で出会った友だちとバンドを組み、ギターを担当、卒業記念に1回だけライブをした。なかでも夢中になり、目標が生まれ、一生懸命続け、夢を描けるようになっていったのが、ボクシングと料理だった。

夢の一つは叶った

 当時の彼が試合のトランクスに入れていたのが“インフィニティ(無限大)”の英文字。挫折も味わった。試練の試合もあった。決して平たんな道のりではなかった。それでも自分の可能性に“蓋”をすることはなかった。デビューから12年、3度目のタイトル挑戦で日本王座を奪取するのは31歳のとき。それからWBOアジアパシフィック王座決定戦、IBF指名挑戦者決定戦とステップアップしていった。

 33歳、IBF世界スーパーフライ級1位としての世界初挑戦は2019年5月4日、アメリカ・カリフォルニア州ストックトンで開催されたトップランク興行のセミファイナル。6連続防衛中のサウスポーのチャンピオン、ジェルウィン・アンカハス(フィリピン)に挑み、劣勢で迎えた7回開始直後、目の上の傷にドクターチェックが入り、無念のストップとなった。

「世界チャンピオンになりたい」「アメリカで試合をしてみたい」。渡米前、その「ふたつの夢が叶う日」と笑顔を見せていた。世界には手が届かなかったものの、「夢のひとつは叶ったので」。悔しさはない、と言えば、ウソになる。が、同時に湧き上がってきたのが「満足」の感情だった。だから「もし、あのあと続けてもあれ以上、強くなれなかったと思うし、いいときにやめたな、と思っています」と笑顔で言い切る。

 もともと1試合でプロボクシングは最後にするつもりだった。アマチュアの戦績は4勝(2KO・RSC)4敗。まだ体の線も細かった。プロでやっていく自信がなかった。高校1年から4年間、頑張ってきた“記念”のリングで判定勝ち。応援に駆けつけてくれた友人たちが「おめでとう!」「すごいね!」と口々に喜んでくれる光景が忘れられなかった。その笑顔が原点であり、大きな原動力だった。

 料理も同じだった。まずはレシピを見て、その通りに作ってみる。それから自己流のアレンジをあれこれと加え、自分が思わず「うまっ!」とうなる味を作れた瞬間がたまらなく好きだった。ときには家族、自宅に遊びに来た友だちに手料理をふるまった。「美味しい!」「美味い!」と笑顔になり、喜んでくれる瞬間はもっと好きだった。

 現役時代から「引退したら、自分の飲食店を開きたい」と夢を語っていた。ボクシングのかたわら、飲食店のアルバイトをずっと続けてきた。厨房に入り、バイトリーダーを任されるようになると、しばらくしてバイト先を変える。そうして、さまざまな店の味つけ、仕込みから調理までの流れを経験し、将来に生かせたらいいな、と考えていた。

 今後もキッチンカーのかたわら、柴田さんの『SOETE(ソエテ)』を含め、3ヵ所のジムで週3回、フィットネス会員を中心にボクシングのトレーナーも続ける。

「どっちが本業になるか、これから決めていきたいと思っています」

 船井さんは屈託なく笑った。間違いないのはボクシングも料理も変わらず好き、会員さんやお客さんの笑顔と接することができるのが何よりの幸せ、ということ。これから一生懸命、夢中になって続けていく過程で、また目標が生まれ、夢も形を変えていくかもしれない。可能性には蓋はしない。大好きなプリンだって、まだあきらめてはいないのだ。

文・写真/船橋真二郎

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