close

2021-06-27

長州力らが全日本プロレス開幕戦ボイコット…ジャパンプロレスが分裂! ジャイアント馬場、怒る 「毅然たる態度で対処していく」【週刊プロレス】

ジャイアント馬場

全ての画像を見る
 1987年3月28日、全日本プロレス「チャンピオン・カーニバル」開幕戦の後楽園ホール大会は、長州力らジャパンプロレス勢9選手が突然のボイコット。大混乱となった。

 長州は右手首腱鞘炎の悪化を理由に2月20日開幕の「エキサイトシリーズ」を欠場。3月23日にジャパンプロレス独立を会見で発表した。その2日後の25日、長州は新日本プロレスの会見にマサ斎藤の代理として登場。その去就が注目される中での“事件”だった。

 28日の全日本後楽園大会には谷津嘉章ら5選手が来場。全日本残留組は長州ら全日本離脱組と決別。ジャパンは内紛が表面化し、分裂することになった。

 大会前に谷津は会見で「やれ新日本に行く、やれ独立だ。やっぱり全日本のシリーズに出るって言ってみたり、あんまりコロコロ変わるんで、長州さんの考えていることはさっぱりわからない。かまっていられないですよ。まだ決裂とは言いたくないけど、オレ自身は間違ったことをしていると思っていないよ」と語った。

 後楽園ホール正面玄関に長州らのシリーズ不参加を伝える張り紙が掲示されたのが午後5時半。この時点で同日の対戦カードは決まっていなかった。

 ジャイアント馬場は「ウチとしては毅然たる態度でこの問題に対処していく方針です。しかし、新聞や雑誌に『法的措置』なんていう活字が載るのは好ましいことではない」と語り、開幕戦後、キャピトル東急ホテルでジャパンプロレスの竹田勝司会長&大塚直樹氏と会談。30日、ジャパンプロレスは事務所で会見をおこない、竹田会長&大塚氏が「長州の追放処分」を発表した。

PICK UP注目の記事

PICK UP注目の記事



RELATED関連する記事