close

2021-06-05

【プロレス】“鶴龍コンビ”のジャイアント馬場超えならず! ジャンボ鶴田「懐が深くて攻め切れない」1986年11月28日

ジャンボ鶴田&天龍源一郎がダブル延髄斬りをジャイアント馬場に叩き込んだ

全ての画像を見る
 1986年11月28日、全日本プロレス札幌大会で“鶴龍コンビ”ジャンボ鶴田&天龍源一郎が師匠のジャイアント馬場と「世界最強タッグ決定リーグ戦」公式戦で激突した。

 当時は馬場&アントニオ猪木時代からの“オレたちの時代”への転換期。だが、闘いの軸は日本人vs外国人。当時の全日本プロレスでは年末が“師弟対決”の季節となっていた。

 1975年には鶴田が馬場とシングル初対決。天龍は1977年、オープンタッグ公式戦で馬場と初対決。それから1986年を迎えるまで鶴田と天龍はシングル、タッグを通じて、ただの一度も馬場からフォール、ギブアップを奪ったことがない。リングアウト勝ちすらなかったのだ。

 これでは時代はいつまで経っても変わらない。この日も試合自体は鶴田が馬場のパートナーであるタイガーマスク(三沢光晴)のダイビング・ボディーアタックを首固めで切り返して勝利。だが、またしても馬場に直接勝てなかった。

 試合後、鶴田と天龍は語る。

「なんか途中で、フニャッとさせられちゃうんだよね。馬場さんはポンと攻めてもポンと返って来ないから、気をそがれないようにと思うんだけど、懐が深くて攻め切れないんだよ」(鶴田)

「闘争心をガッと向けてくる相手なら、こっちも激しくいけるんだけど、引かれるとどうしても気勢がそがれてしまう。そんな時、大技を食らうと、通常の倍以上のダメージがあることが、今日はっきりわかったね」(天龍)

 プロレスはいつの時代も世代闘争が永遠のテーマ。あの鶴田や天龍でさえ、馬場超えというあまりにも大きすぎる壁にぶち当たっていた。

PICK UP注目の記事

PICK UP注目の記事



RELATED関連する記事