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2021-07-01

“インディーの先駆け”パイオニア戦志が平成元年に誕生! メインで剛竜馬に敗れた大仁田厚は「ギブアップしていない」【週刊プロレス】

剛竜馬にフロント・ハイキックを決める大仁田厚

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 1989年4月30日、東京・後楽園ホールにて、パイオニア戦志が旗揚げされた。前年11月5日に旗揚げ宣言をおこなってから半年。所属選手はエース格の剛竜馬、高杉正彦、アポロ菅原の3人。観衆はゴールデンウイークということもあり、1600人(満員)だ。
 
 オープニング・セレモニーもおこなわれ、アニマル浜口氏、剛の挨拶、約15分間の練習生による公開練習、元横綱・双羽黒の北尾光司氏の紹介、約20分間のファン参加アームレスリング大会、新日本・藤波辰巳(現・藤波辰爾)の登場と大会は進んだ。

 試合は菅原vs高杉、剛vs大仁田厚の2試合。メインは両者ともに流血する死闘となり、剛がアキレス腱固めで大仁田を捕獲。動きが止まったのを見た遠藤光男レフェリーが試合を止めた。

 試合後、勝利を収めた剛の左腕をレフェリーが上げたが、大仁田は「ギブアップしていない」と引き下がらない。剛は大仁田を無視するかのようにリングを降りた。場内の観客は「金返せ!」「帰れ!」というヤジが局地的に発生。紙コップもリングに投げ込まれたが、最終的にはあきらめに変わっていった。

 あまりにも幸先の悪い船出となったパイオニア戦志。しかし、昭和が終わり、平成になった年に“インディー”という概念が生まれたことは、プロレス業界にとってエポックメーキングだった。

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