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2021-07-13

SPWF旗揚げ戦に突如現れた高野俊二、対戦を迫られた谷津嘉章「オマエなんか呼んでねぇよ」と一度は突っぱねたが、結局「やってやろうじゃないか」と受諾【週刊プロレス】

試合開始前に全出場選手がリングに勢ぞろい。代表の谷津嘉章が挨拶

 1993年8月21日、群馬・桐生市民体育館にて、谷津嘉章率いるSPWF(社会人プロレス連盟)が旗揚げ戦を開催。旗揚げ初戦でとんでもない事態が起こった。なんと出場予定のなかったPWC社長・高野俊二が突如会場に姿を現し、谷津に対戦を迫ったのである。

 谷津と俊二の“因縁”は1992年5月以来。当時、SWSに所属していた谷津と仲野信市が反・天龍源一郎派のクーデターと言われた内部分裂問題の責任をとって5・22後楽園大会をもって引退を表明。その時、引退試合の相手を務めたのが高野兄弟だった。

 俊二は乱入の意図を「1年3カ月前の後楽園で、アイツらが腹切るところをオレが介錯してやったのに、何を今さら未練がましく、出てきやがったんだ」と説明。谷津は「オマエなんか呼んでねぇよ」と一度は突っぱねたが、結局「やってやろうじゃないか」と受諾。当初予定されていた仲野とのシングルを変更して、俊二とのタッグマッチに臨んだ。

 翌日の後楽園大会でも谷津は俊二とタッグで対戦。SPWFは前途多難なスタートを切った。

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