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2021-08-03

【泣き笑いどすこい劇場】第2回「師匠の悲喜劇」その4

「あんな相撲を取った自分が悪い」は有名な大鵬さんの言葉だが、その悔しさは引退後にも残っていた。写真は現役時代、イメージ

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力士にとって、直径4メートル55センチの土俵は晴れの舞台。汗と泥と涙にまみれて培った力を目いっぱいぶつけて勝ち名乗りを受け、真の男になりたい、とみんな願っています。とはいえ、勝つ者あれば、負ける者あり、してやった者あれば、してやられた者あり、なかなか思うようにいかないのが勝負の世界の常。真剣であればあるほど、思いがけない逸話、ニヤリとしたくなる失敗談、悲喜劇はつきものです。そんな土俵の周りに転がっているエピソードを拾い集めました。
※月刊『相撲』平成22年11月号から連載していた「泣き笑いどすこい劇場」を一部編集。第1回から、毎週火曜日に公開します。

弟子が師匠の仇討

横綱大鵬が羽黒岩(当時戸田)に“世紀の誤審”と言われた疑惑の相撲で敗れ、45連勝でストップしたのは昭和44(1969)年春場所2日目のことだった。

46年夏場所、大鵬は引退。その年の12月に27人の内弟子を引き連れて大鵬部屋を興した。6年後、この中から巨砲(当時大真)、嗣志鵬(当時満山)の2人がそろって十両に昇進している。それから2場所後の昭和52年九州場所6日目、巨砲は羽黒岩と顔があった。師弟2代の対決である。もちろん、巨砲も師匠の連勝を止めた因縁の相手であることはよく知っていた。

場所入りする直前、巨砲が師匠のところに挨拶にいくと、大鵬親方はたった一言、小さな声でこう言った。

「オレのカタキを討ってこい」

羽黒岩に敗れた夜、大鵬は痛飲し、それが原因とも言われているが、5日目から急性気管支炎で休場している。不本意なかたちだったが、連勝を止められた悔しさは、8年経ち、現役を引退しても少しも消えていなかったのだ。真の勝負師なら、負けたり、越されたりして相手を祝福するなんて、あり得ないのかもしれない。

巨砲は、この師匠の叱咤によく応えて羽黒岩に勝ち、部屋に戻ってくると、大鵬親方はいかにも積年の溜飲が下がったような顔で、

「よくやった」

と珍しく弟子を褒めたという。何年か後、63連勝で止められた白鵬と稀勢の里の弟子たちも因縁対決を繰り広げるかもしれませんね。

月刊『相撲』平成22年12月号掲載
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