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2021-07-23

【連載 名力士ライバル列伝】「北玉時代」至高のライバル対決その2

はかなくも濃密な時代を築いた玉の海(左)と北の富士

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柏戸、大鵬に代わり時代を作ったのは北の富士、玉の海の両雄だった。
短くもまばゆいばかりの光を放った「北玉時代」。
そして早逝のライバルの強さは、どこにあったのか。
現在、NHK相撲中継の解説者を務める北の富士勝昭氏の言葉とともに、振り返ってみたい。
※平成28~30年発行『名力士風雲録』連載「ライバル列伝」を一部編集。毎週金曜日に公開します。

兄弟子との対戦でのひらめき

昭和41(1966)年春場所から2度目の6連覇を果たした大鵬に、柏戸、佐田の山の3横綱が君臨するなか(栃ノ海は41年限りで引退)、賜盃を手にするのは至難の技だが、そこに先に到達したのは北の富士だった。

栄光への出発点は、昭和42年初場所後、九重親方(元横綱千代の山)の独立という大事件だった。相撲人生において最も悩んだ末、九重親方と行動をともにする決意をした北の富士。玉の海もまた、幕下時代に大部屋からの独立を経験しているが、北の富士の場合は、すでに大関で、いずれは横綱として名門・出羽海を背負って立つ期待があっただけに空前絶後の事件だった。

移籍後初の昭和42年春場所は、初日から12連勝。13日目に大鵬の壁に当たり1敗に並ばれたが、14日目、大鵬が柏戸に敗れたのを見届け、結びの土俵へ。相手は、1場所前までは同部屋で、同じちゃんこを囲んでいた兄弟子の佐田の山だ。

「夢を見ているような感じだった。『オレ、何してるんだろう。何で佐田の山関と、こんなところで顔を合わせているんだろう』って……作戦なんてない。よく稽古をつけてもらいましたけど、10番取ったって、お情けで1番勝てるかどうか。力の差は歴然でしたからね。とにかく夢中に取ったけれど、打っ棄られて、よりにもよって、最もやりたくない相手と、もう一度取ることになってしまった。2番目のほうは正直、あまり覚えてないのだけれど……」

取り直しは、北の富士の気迫と若さ、そして持ち味のスピードがあふれ出た。立ち合い、左へ動くと、回転の速い猛突っ張り。そして、今度はサッと左を差し、左へ引きながらの肩透かしの連発だ。

「そうでした。あの肩透かしは、自然に体が動いたんですよ。実は以前、稽古場で『佐田の山関は右足が出ない相撲だ』というのを、誰かがしゃべっていたのを聞いたことがあって、あの一番で、ふと思い出したんだと思う。左から引っ張れば、右足をうまく前に運べないんじゃなかと」

これで横綱の体勢を崩すと、一転して前進。最後は突き落としをこらえて寄り切った。「強いなあ。元気いっぱいだよ」と笑顔で弟弟子の成長を認めた佐田の山。逆に、北の富士は優勝へ近づく大きな勝利にも、「うれしい気持ちなんて一切、なかったね」。翌日、柏戸を同じく肩透かしで倒し、「九重親方を男にする」という約束を果たした。(続く)

『名力士風雲録』第18号玉の海 北の富士 琴櫻掲載

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