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2021-08-13

【連載 名力士ライバル列伝】旭富士 小錦 霧島の言葉「心を燃やした好敵手たち」

しなやかな体から繰り出す天才的技能と努力で、4回の優勝を果たした旭富士

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昭和から平成へ、時代のターニングポイントにおいて、
土俵を沸かせた名力士たち。
元旭富士の伊勢ケ濱親方、小錦八十吉氏、
元霧島の陸奥親方の言葉の言葉とともに、
それぞれの名勝負、生き様を回顧したい。
※平成28~30年発行『名力士風雲録』連載「ライバル列伝」を一部編集。毎週金曜日に公開します。

「千代の富士関には初めから自分の相撲を取っていれば良かった」

膵臓炎を患いながらも落ちた体力を筋トレで補った旭富士。そうした努力が実り、昭和62(1987)年秋場所後、念願の大関の座へ。63年初場所にはついに初優勝を果たす。そこから平成元年夏場所まで、14場所連続二ケタ勝利という安定感。優勝同点も2度あり、次なる目標の「横綱」へも遜色ない戦績だった。

「あのころはもう、二ケタ以上は常に勝てるという自信がありました。でも、何か一つ、二つ、足りないものがあるな、という思いもあったんです。それが結局、全勝には届かない星勘定に出てしまったのかなと」

横綱推挙の声がかからないのは、優勝ゼロで廃業となった双羽黒の影響ともいわれたが、「それはまったく関係ない。自分自身が完璧じゃなかった。それだけのことです」

“完璧な自分”へ立ちはだかったのは、まずは大乃国と北勝海の2横綱だ。入幕同期の大乃国には関脇時代まで一時10連敗を喫し、北勝海とは互角に渡り合ったものの、平成元年初、夏場所と本割で破りながら優勝決定戦で苦杯をなめている。

「大乃国関とは右の相四つなので、どうしても体負けしてしまう。とにかく重いし、しかも柔らかいので、どんどん先に攻めていくことを心がけていきました。北勝海関は、あの出足さえ止めてしまえば何とかなるなと。ただ、決定戦のような『ここ一番』となると、立ち合いの鋭さが増して、一気に持っていかれてしまいましたね」

そして千代の富士だ。同じく相四つの大横綱には、初顔合わせから10連敗。昭和61年初場所の白星後も、初優勝場所で勝つまで10連敗と、とにかく高い壁だった。

「よく稽古をつけてもらいましたが、まったく勝てない。いろいろ攻略法を考えて、まず、廻しを取られたら、あのパワーで引き付けられて終わりなので、左前ミツを取らせないのが大前提。逆に私が先に左前ミツを引いて、先手、先手で攻めていこうと。実際、勝った一番は、その流れでしたね」

迎えた平成2年名古屋場所の千秋楽決戦。気合十分の旭富士は、立ち合い、セオリー通りに左を先に取ると、左外掛けで崩して右を差し、さらにモロ差しと積極果敢に攻め立てる。さすがは大横綱、外四つで反り返りながらも耐えに耐え、強引な上手投げにきたが、最後は左で首根っこを押さえての右掬い投げでねじ伏せた。

「終わった瞬間から吐き気がして、表彰式のときまで止まらなくて(苦笑)。後から聞くと、千代の富士関も花道を下がってから、しゃがみ込んでしまったそうです。それだけ、全力を出し尽くした一番でした」

30秒の大熱戦、心技体の結晶。横綱の地位とともに、最後の“あと一つ”をつかんだ瞬間でもあった。

しかし「後で気づいたことがあったんです」と続ける言葉に相撲の奥深さがある。

「千代の富士関には『左を先に取らせない』ことばかり意識していたんですが、実は、本当の攻略法はそれではなかった。最初から『右を深く差す』。これだったんです。勝った相撲を見ても、最終的には右を深く差している。要は初めから自分の相撲を取っていれば良かったんです。それが分かってからは稽古場でも勝てるようになったんですが……もう遅かったですね」

千代の富士引退の平成3年夏場所、他の横綱も休場の中、一人横綱の責任を負った旭富士は、千秋楽、1差で追い掛ける大関小錦と対峙した。

「小錦関には、彼が高砂部屋に入ったころから稽古をつけてきた。だから、『こうすれば勝てる』というパターンをいくつも持っていました」

その言葉通り、本割はガブっての寄り切り、決定戦は鮮やかな左下手投げ(決まり手は肩透かし)。通算4回目、横綱として初の優勝を果たした。

だがこれで、常に自分を突き動かしてきた“目標”を見失ったのも確かだった。

「病気を治し、稽古できる体に戻し、本場所で戦える状態にもっていく。これは相当なモチベーションがないと非常にきついんです。いろいろ模索しましたが『横綱としての優勝』の次を見いだせなかった。やはり、少しでも迷ってしまうとダメ。迷わず前に進んでいくからこそ向上できるんですよ」

ただそれは、持病と闘いながらも倦まず弛まず精進し、一つひとつのハードルをクリアし、己の定めた最終目標までたどり着くことができた横綱だからこそ、感じ取れた境地でもあろう。

「土俵人生に、悔いは一切、ありません」

引退時に語ったその思いには、一点の曇りもなかったのだ。

『名力士風雲録』第19号旭富士 小錦 霧島掲載

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