力士にとって、直径4メートル55センチの土俵は晴れの舞台。汗と泥と涙にまみれて培った力を目いっぱいぶつけて勝ち名乗りを受け、真の男になりたい、とみんな願っています。とはいえ、勝つ者あれば、負ける者あり、してやった者あれば、してやられた者あり、なかなか思うようにいかないのが勝負の世界の常。真剣であればあるほど、思いがけない逸話、ニヤリとしたくなる失敗談、悲喜劇はつきものです。そんな土俵の周りに転がっているエピソードを拾い集めました。
※月刊『相撲』平成22年11月号から連載していた「泣き笑いどすこい劇場」を一部編集。第1回から、毎週火曜日に公開します。
親方も一緒に闘う中にはそうでもない師弟もいることはいるが、弟子が猛稽古に励んでいるとき、師匠も知らん顔をしてはおれず。どこかで歯を食いしばって頑張っているものだ。
平成19(2007)年の初め、まだ白鵬が大関だったときのことだ。白鵬の育ての親の熊ケ谷親方(元幕内竹葉山、現宮城野)は、
「いま、白鵬は勝負どころ。あれだけ稽古に打ち込んでいるのに、教える側が好き勝手なことをして遊んでいてはダメ。オレもなんかしないと」
と考え、いよいよ白鵬の綱取りが現実味を帯びてきた初場所後、一大決心をして家中にあった灰皿、ライター、買い置きのタバコを全部、ゴミ箱に投げ捨てた。35年間、吸ってきたタバコを止める決心をしたのだ。
それから1カ月後、熊ケ谷親方はすっかり丸みを帯びてきた顔を撫でながらこう言った。
「禁煙したおかげで、飯がうまくなってね。この1カ月で10キロも太って、おなかなんか、パンパンだよ。オレは糖尿病持ちで、あまり太るといけないもんだから、最近、散歩を始めたよ。散歩って楽しいなあ」
こんな周囲の心のこもった支援を受けて、白鵬が念願の綱取りに成功したのは、それから2場所後の夏場所後のことだった。
月刊『相撲』平成22年12月号掲載