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2021-10-25

藤波辰爾が語る新日本プロレス旗揚げ前夜<プロローグ5>日本プロレス時代は列車移動。その際に見た忘れられない馬場さんの姿【週刊プロレス】

タクシーで移動するジャイアント馬場

 全国を巡業するプロレスラーにとって、移動も仕事の一部。今でこそバスでだが、日本プロレス時代は高速道路網も整備されておらず、もっぱら列車での移動。もちろんそれは外国人レスラーも変わらない。

 当時は移動のひとコマとして、リング上では血と汗を流して闘っている猛者が笑顔で談笑していたり、凶悪レスラーが笑顔で子供と接したり、駅のホームでそばを食べているなど、意外な素顔が掲載されたりもした。外国人レスラーがカメラ片手に観光している風景などもあった。

 しかし若手は、移動中といえども付け人の仕事をこなさねばならない。そこで藤波辰爾が見た忘れられない光景とは……。

      ◇       ◇        ◇

 移動に関しても、日本プロレス時代はバスではなかった。

「バスになったのは新日本プロレス、全日本プロレスに分かれてから。それも旗揚げからしばらくたってから。それまでは電車でもないな、汽車っていうか、列車で移動。馬場さん、猪木さん、吉村さん、大木さんといったトップクラスは特等席。今でいうグリーン車。

 その下の中堅とかのクラスが一等車。今でいえば一般指定席になるのかな。あと僕も含めて7、8人、もっといたかな? 若手は二等席。それぞれ先輩のカバンを持ってね。

 僕らは早めに駅に行って並んで。そうやって列車に乗り込んで。向かい合わせの狭い席に座って。満員だと座れないときもあったね。次に試合をする土地の駅に着くと、駅前は黒山の人だかり。今日試合があってレスラーが来るって知ってるからね。

 いま思い出してもすごい光景だった。“先乗り”っていう前もって現地に入って準備する担当がいて、駅前には彼が手配したタクシーが並んでるわけ。1台1台に誰が乗るか、『ジャイアント馬場様』『アントニオ猪木様』ってフロントガラスに貼ってあって。

 タクシーの運転手にすれば『馬場さんを乗せた』『猪木さんを乗せた』って、ちょっとした自慢になるわけですよ。それを周りに話すと、それがいい宣伝になってね。ところで、駅に着いて黒山の人だかりのところに馬場さんが降り立つわけだけど、そこで決まってポケットから葉巻を出してふかすんです。その姿が何ともかっこよくてねぇ。映画のワンシーンみたい」

(つづく)

橋爪哲也

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