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2021-10-26

藤波辰爾が語る新日本プロレス旗揚げ<1>「最初は馬場さんと猪木さん2人で力を合わせて、日本プロレスをもっといいものにしようとしていた」【週刊プロレス】

ジャイアント馬場とアントニオ猪木

 さて、話はいよいよ“新日本プロレス旗揚げ”に入るが、まずは新団体設立に至った流れを、藤波辰爾から見た視点でおさらいしておこう。ここで注目されるのは当時のBIの関係。アントニオ猪木からはなにかにつけライバル視していたように伝えられているが、実際はどうだったのか? 藤波の目にはどう映っていたのか? 意外とこれまで語られてない部分でもある。

 1971年暮れ、アントニオ猪木は日本プロレスを除名になった。そしてすぐさま新日本プロレスを設立。藤波は猪木を追う形で日プロを離れた。

「このあたりはもう昔からのファンは皆さんご存じだと思いますけど。なんで力道山先生が創った栄光と伝統の日本プロレスがなくなったか。すごい時代を築いて盤石だった中で突如としてそういう状態になって崩れていったわけだけど、選手としてはより良い団体を目指してて、その時は猪木さんも馬場さんもいい形で燃えてましたね。

 2人はリング上ではもちろん黄金タッグを築いてましたけど、リングを下りてもすごくいいコンビだったんですよね。猪木さんと馬場さんはすごいライバル関係にあったとかいろいろ言われてきましたけど、確かにどっかで僕と長州みたいな関係もあったでしょう。

 でも馬場さんも猪木さんのことをすごく大事にしてて、猪木さんも馬場さんのことを本当に兄貴のようにものすごく慕ってたというか、一目置いてたというか……。

 力道山先生は本当にいいトップ2人を育てたなぁって僕らはいまだに思うんだけどね。馬場さんっていうのはあれだけの大きな存在で、富士山と同じでどこからでも見える。それだけのオーラがありましたね。

 それだけ象徴的だったし、だから馬場さんをトップに据えて、それをサポートする猪木さんという立場があってね」

 その当時のジャイアント馬場とアントニオ猪木の関係については、次のように振り返った。

「最初は2人で力を合わせて今の日本プロレスをもっといいものにしようっていう感じでした。だけど、どこかで足並みがそろわなくなったっていうか。

 猪木さんの考え、馬場さんの考えをサポートする人間が、もうちょっと取り巻きの中にいたらって思うよね。そこがちょっとギクシャクしてね。

 まぁ、どの社会でもそういうのはあるんだろうけど、その時の自分の立場であったり、その後(改革後)に自分がどういう立場に置かれるかであったりを考えてね。

 そういうのがあって、馬場さんと猪木さんを分裂させちゃうんですよね。周りによって、馬場さんを違った考えにしてしまったっていうかね。力道山が築いたものを継いでいく、守るっていう立場に持っていかれたっていうか。

 もちろん猪木さんもそれをないがしろにしてたわけじゃないけど、猪木さんはその前に日本プロレスを離れて1回、東京プロレスを旗揚げしてますから。出戻りっていう部分があって、どうしても猪木さんの方がはじき出されてしまうっていうね。

 マスコミでいろいろ記事にされてきたけど、まったくそういうものじゃなくて、本来は会社を改善したいっていう思いだったんですけどね。結局、猪木さんが責任を取らされる形で除名処分になっちゃうわけで」

 そして藤波は猪木についていった。

「ついていくっていうか、自然とそうなった。いつも一緒に練習してたわけですよ。猪木さんがリングの上で練習してたら、必ずすぐ横には木戸さんがいる。僕は木戸さんの近くにいて。また近くに山本小鉄さんがいる。

 そのグループが、要するに猪木一派。無意識のうちにそれが大切な部分になっちゃうわけですよ。新日本プロレスを設立するってなったときも、猪木さんと一緒にいた人間が行動を共にするって形でね。それで僕と木戸さん、小鉄さんがそろったっていうね」

(つづく)

橋爪哲也

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