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2021-10-29

【連載 名力士ライバル列伝】心を燃やした好敵手・名勝負―横綱大乃国前編

昭和62年秋場所後、24歳11カ月で横綱昇進を果たした大乃国

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大横綱千代の富士の胸を借り、そして挑戦し、強くなった男たち。
元横綱北勝海、現日本相撲協会理事長の八角親方と、
元横綱大乃国の芝田山親方の言葉から、
それぞれの名勝負や、横綱としての生き様を振り返っていこう。
※平成28~30年発行『名力士風雲録』連載「ライバル列伝」を一部編集。毎週金曜日に公開します。

猛稽古で身に付けた「粘り」

自分にとっては、「ライバル」という存在はいませんでしたね。強いて言うなら、みんながライバルであり、土俵上で当たる人間は全員が敵。

「九重部屋には横綱が二人(千代の富士、北勝海)もいて大変ですね」

なんて当時もよく聞かれたけれど、そんなミミっちいことは考えたこともないですよ。相手方に横綱が二人いようが、三人いようが、来る相手は全員倒せばいい。それだけのことだと思っていました。

特に幕内上位ころは、横綱・大関と対戦できる喜び、楽しさしかなかった。15日間全部、横綱・大関戦でもいいくらい(笑)。そうした心持ちが、昭和58(1983)年九州場所の3金星、59年春場所の3横綱3大関総ナメにつながったのかもしれません。

3金星の1つ目、千代の富士さんとの対戦は、先に素早く左上手を取って、相手には上手を与えず、慌てずに前へ出ていく理想的な形ができた。2つ目の隆の里さんも、同じく右の相四つですが、上手を取らせないように、うまく遠ざけつつ、自分の体勢で構えられている。そして、横綱が我慢できずに小手投げにきたところを、前に出て寄り切り。同門でよく稽古をつけてもらった方ですが、相手が誰であれ、自分の形を崩さないことが大事なんですね。

土俵上で最も意識していのは、「どれだけ粘りを出せるか」ということです。自分の持ち味である体の柔らかさを生かし、土俵際ではひたすら残す。不利な体勢でも我慢して、我慢して、何とか自分の形にもっていく。いかに粘って勝ちにつなげていくか、それだけを考えていました。それが特によく表れたのが3金星の3つ目、北の湖さんとの一番ですね。

あの独特の立ち合いで初めは押し込まれましたが、土俵際で残し、体を入れ替え、前に出ようとすることで、横綱のほうが焦ってくれた。それにしても、われながらよく動けていましたね。体重は152キロ? そのまま大関、横綱になれていれば良かったのになあ(笑)。とにかく土俵際で残す自信、逆に、引かれても落ちない自信が、このころはありましたよ。

こうした粘りや自信は、二子山部屋でのきつい稽古の成果でしょう。三番稽古は待ったなしでぶっ続け。そして、その後のぶつかり稽古では、毎日のように引きずり回されるんです。目が覚めると「どうすれば稽古を休めるかな」って考えて、重い体を何とか自転車に乗せて出稽古に向かう、そんな日々。自分で言うのもなんですが、力が付くだけの十分な稽古量は、やってきたと思いますね。

そうするうちに大関、横綱となっていくわけですが、その中でもやっぱり、昭和62年夏場所の全勝での初優勝は、九重勢二人も倒しましたし、自分としても「やったな」という充実感はありましたよね。(続く)

『名力士風雲録』第20号北勝海 大乃国 双羽黒掲載

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