1987年2月、長州力らジャパンプロレス勢が全日本プロレスを飛び出し、新日本プロレスへ復帰。全日本プロレスでは天龍源一郎が決起して、6月より阿修羅・原とのタッグチーム“龍原砲”を始動させた。 両者は全日本プロレスに“意識革命”を起こすべく技にもチームプレーにも相当に荒っぽい新機軸を編み出して暴れている。例えば、天龍は得意とする延髄斬りを顔面にも叩き込むようになった。後頭部も顔面も鍛えようのない個所だということでは同じだが、顔には目、鼻、口と体の中でも最も切れやすい部分がそろっていて、相手に与える恐怖感は、延髄斬りの何倍。さっそく7月3日の後楽園大会でザ・グレート・カブキが出血させられている。
原もラリアットの打撃ポイントをちょっと上げた。これまでは胸板からノドにかけてだったが、今はノドが下限になっている。「顔面に入っても構わない」という打ち方である。
同じく7月3日の後楽園大会で輪島大士は鼻血を出してグロッギー状態となった。連係プレーも日増しに息が合ってきており、サンドイッチ・ラリアットのダメージも1+1=2ではなくなっている。アゴを引いて前からのラリアットに備えれば、後頭部がガラ空きになるわけだ。
天龍と原は理詰めで全日本プロレスに“革命”を起こそうとしている。