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2021-11-09

【泣き笑いどすこい劇場】第5回「力士の憧れ 天皇賜盃」その1

平成22年名古屋場所は野球賭博問題の影響で外部表彰を辞退し、天皇賜盃は授与されなかったが、23年春場所は本場所までもがなくなってしまった

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賜盃が消えた――。一部の力士の許されざる不正行為によって平成23年春場所が中止になった。野球賭博問題で揺れた前年の名古屋場所でも、相撲協会は天皇賜盃を辞退し、優勝した横綱白鵬はたった7分で終わった表彰式で、「天皇賜盃だけは頂きたかった」と号泣した。それからまだ半年あまりしか経っていないのに、今度は場所すらなくなったのだ。関係者の悔しさはいかばかりか。どうか、思い出して欲しい。力士たちがどんな思いであの賜盃を目指してがんばっているか。そこには絶対に禍々しいものはない。というワケで、今回のキーワードは場所中止というショッキングな出来事があったにもかかわらず、あえて“天皇賜盃”にしました。一日も早い場所の再開を信じて。

平成最初の場所を制したのは

優勝の雄叫び、というのは何度聞いても心に滲みる。昭和天皇崩御のため、初日を1日遅らして始まった平成元(1989)年初場所を制したのは横綱北勝海(現八角理事長)だった。

この4場所前の昭和63年夏場所14日目、優勝した千代の富士を1差で追いかけていた北勝海は、支度部屋で準備運動中に腰(腰部椎間板損傷、左股関節挫傷)を痛め、翌千秋楽から九州場所まで4場所連続休場した。

この地獄のような長期休場中、北勝海は都内の整形外科に1カ月間入院。そこを退院すると、福岡に飛んで鍼治療を受け、さらに、熊本県に腰に効く温泉があると聞いてそこを訪ねるなど、ありとあらゆる治療を試みた。その最たるものが横浜で受けた零下190度の冷凍室に1分間入って患部を凍らせ、そのあとマッサージを受けて血液の循環を活性化させる、という半ば命がけの荒療治だった。

それでも、症状は一向によくならない。3場所目の秋場所も全休したとき、兄弟子の千代の富士は、

「アイツの相撲は、立ち合い、思い切ってガツンと当たる相撲だから、腰を痛めたのはつらいよな。でも、将来のためには、焦らず、じっくり治すべき。絶対、ここで無理しちゃダメだ」

と同情し、アドバイスしている。

それだけに、5場所ぶりに土俵に戻ってきたときの北勝海の喜びは大きかった。初日、西関脇の太寿山(現花籠親方)を押し出し、235日ぶりに白星をあげると、

「勝った瞬間、耳鳴りがして、自分の心臓の音しか聞こえなかった。涙が出るくらいうれしい」

と声を震わせている。

この無欲さが望外の好結果を生み、なんと初日から14連勝。千秋楽の相手は、1差で追走していた大関旭富士(のち横綱、現伊勢ケ濱親方)だった。5場所前、腰痛を起こし、そのためにおよそ相撲にならず、優勝も逸した因縁の相手である。本割はプレッシャーもあって完敗だった。しかし、優勝決定戦になると、みごとに開き直り、これまでのつらい闘病生活のうっ憤を吹き飛ばすような力強い攻めで寄り切って快勝。大歓声の中を引き揚げてきた北勝海は、

「100点満点? いや、200点満点ですよ。この日のために苦しい入院にも耐えてきたんです。この喜びは金には換えられない。本当にうれしい」

と付け人が差し出したタオルを顔に押しつけ、声を殺してしゃくりあげた。

このように、優勝賜盃には力士たちのさまざまな思いや涙がたっぷりしみ込んでいる。今回は、その上に場所中止という無念さも刻みこまれることになる。

月刊『相撲』平成23年3月号掲載

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